「ハイキュー‼」いいよね。で、いいところと残念なところをまとめてみた
最近「ハイキュー!!」読んでます。まだ7巻までですが。
おもしろくね?なんでこれ流行らないの?
って思ったら、私が知らなかっただけで割と流行ってたのね。なんと、ジャンプ作品で昨年単行本売上第3位。超人気漫画だったのか。知らなかった。
出典:【2016年版】コミックス発行部数から見る「週刊少年ジャンプ」人気作品ランキング
ちなみに1位と2位はONE PIECEと暗殺教室。ちなみにのうないは暗殺教室のファンでもあります。あれほど物騒なタイトルであれほど健全であれほど最初から最後まで無駄のない漫画はない。
てことで、「ハイキュー!!」最近好きなので、まだ7巻までしか読んでないけど、Goodなところと残念なところを独断と偏見で(おもに(ややオタッキーな)女子目線で)挙げていきたいと思います。
ハイキュー!!はもう24巻まででているということで、まだ3分の1も読んでいないことになりますが、この漫画は妙な安定感があるので、なんとなく今後もいい意味でも悪い意味でも変わらないような気がします。あくまでそんな気がするということですが。
いいところ①:絵がかわいい
とにかくこれなんじゃ!!(女子的には)
真のマンガ好きさんとかには「カワイイとかじゃなくて、絵は『上手さ』だろ」とか言われそうで、まあそれはそうなんだろうと思うんですけど、上手いとかは別にして絵がかわいくないと読むのがストレスになるんですよ。ONE PIECEもHUNTER×HUNTERもDEATH NOTEも暗殺教室も、結局みんな絵がかわいいじゃん!!
「ハイキュー!!」はどのキャラももれなくかわいいのがすごい。明らかにイケメンキャラって設定じゃないであろう田中くん(これ↓)ですらかわいいのがすごい。
いいところ②:主人公が危なげない(ハラハラしない)
「ハイキュー!!」の主人公・日向は、ジャンプ作品に典型的な「バレー大好きな単純バカでポテンシャルの塊な『光る原石』」。単純で、スポーツ/バトルが好きで、まだ粗削りだけど向上心がすごくて、まっすぐで、頭より先に体が動くタイプで、憎めなくて、仲間想い。
ONE PIECEのルフィ、HUNTER×HUNTERのゴン、幽遊白書の浦飯遊助、NARUTOのナルト、SLAM DUNKの桜木花道 etc. このタイプの主人公は枚挙にいとまがない。
日向はバレーのことしか頭にない光る原石なので、「悔しい!もっともっと強くなりたいぜ!」っていうのが基本姿勢なんですが、若さゆえに焦りが出てメンタル的に不安定になることもあります。
そんなとき、必ず登場するのがこの男。
この髪型に弱い女子は多いのでは。予想を裏切らず主人公を差し置いて人気投票第1位。
主人公の同級生兼ライバル兼パートナー・影山飛雄(かげやま・とびお。天才セッター)。
なんだかよくわからないけど主人公は影山がいると最強になるという設定になっています。
そしてそれは技術的にというだけでなく、メンタル的にも。
なぜなら、主人公の心が折れそうになると、→
→とびおが励ます。 →んで、
→主人公立ち直る(→点入れる)
という、安定の流れができてしまっているので、まったくハラハラしなくて済みます。私はハラハラするのが好きじゃないからいいねと思うけど、人によってはマイナスポイントかもしれない。
いいところ③:脇役までキャラ立ちしている・描き分けもうまい
メインキャラから脇役まで、ちゃんと個性的。
なんか高校生がきゃっきゃしてる感じがね。かわいいよね。(←キモい)
Hey! Say! JUMPをほほえましく眺めてるのと同じ気持ちなんだわこれ
そして結構重要なのは、全キャラが「ちゃんと見分けられる」(≒顔が違う)こと。
できれば、読んでる途中に「え、これ誰?●●だと思ってたけど違ったの?」とか混乱したくないからね!
みんな同じ顔の『●ッチ』
あと、どうしても特筆したいことが。「ハイキュー!!」には跡部様(テニプリ)がでてきます。
しかもあだ名は「大王様」。「俺様の美技に酔いな」って言い始めるのも時間の問題
残念なところ①:スポーツ漫画の宿命?結末がわかってるのに展開が遅い
ジャンプにおけるスポーツ漫画は、ストーリー展開においてかなりの制約があるといわざるを得ません。
なぜかというと、ジャンプでスポーツ漫画をやるとすると、ターゲット層的に自然と高校生(または中学生)の部活に絞られます(実際はわたしのような大人もかなり読んでいるのですが(笑))。そして、高校生の部活の目標といえば、全国大会(インターハイ)を目指す、とならざるを得ません。
さすがに全国制覇は少年マンガといえどもできすぎ感が出てしまうので、「いいところまで行ったけど、あと少しのところで負けてしまった」という基本路線が容易に想定できます。
インターハイはトーナメント制なので、一回負けたら終わり。そうすると、いったんイターハイが始まってしまえば、作品全体の最後の試合までは負けるはずがない。つまり、個々の試合の場面では「この試合はたぶん勝つんだろうな」っていうのが予測できてしまうわけです。
とはいえ、その勝つまでの過程が大事なので、ストーリーはサクサク進みません。 一つの試合(80分程度)に単行本何冊もかかったりする。だから、「なげーーーーーー。すごいあーだこーだやってるけどさ、この試合、どうせ勝つんだよね?」などと時々思ってしまったりしてしまう。
もうこれは「ハイキュー!!」特有のことではなく学生スポーツ漫画の宿命なわけですが。こんな制約がある中飽きずに読ませて人気なんだからむしろスゴいな、とも思います。
残念なところ②?:ヒロインがいない?
ネットでこういう意見をちょいと見かけたので。
「ハイキュー!!」のバレー部には清水潔子(しみずきよこ)さんという清らかすぎる名前の超美人マネージャーがいます。
超かわいい!しかもメガネ!
これヒロインじゃないの?と思うけど潔子さんはクールビューティな高嶺の花なので、スラムダンクの春子さんみたいに、主人公が憧れて、バスケやる動機になったりその子のために頑張ったりする位置づけではありません。
でも、結論としては、女性キャラはこれくらいの脇役に出てくる程度でいいんじゃないか?と思います。
主人公が恋する相手としてのヒロインって意味では、(いちご100%みたいな恋愛がメインテーマのマンガならともかく)ジャンプ作品のほとんどはヒロインがいないように思います。
というのは、恋愛要素が入ってくると話が単純化できないから何だと思います。もしヒロインを登場させたとしても、存在感薄い感じにせざるを得ないんじゃないかと(スラムダンクの春子ちゃん的な感じで)。ジャンプだとね。そもそも、ジャンプの合言葉は「努力、友情、勝利」だしね。
マチ、かわいいよね。
だから、かわいい女の子を脇役で登場させるくらいがちょうどいいと思います。
そういう意味では、「ハイキュー!!」は正解。
他に残念なところは…??
いいところを3つ挙げたので、残念なところも3つくらい挙げたかったのですが、結局1つしか思いつきませんでした。残念。まあそれだけ良作ってことですよね。早く最新刊まで追いつこう。
ワンピースのゾロ、ナルトの我愛羅 ー 目の周り黒めのキャラが好きすぎる
「明日、暇?」って聞くのは失礼だと思うんだよ
他人に「明日ヒマ?」と聞く人はデリカシーがない?
あなたは友達に予定を尋ねるとき、なんと尋ねますか?
「明日夜空いてる?」「今度の土曜、イベントいかない?」「金曜飲みに行けたりする?」
聞き方はいろいろバリエーションがあり得ると思いますが、私がもう10年余りもの間個人的に非常にイラッとしてきたのは、
「ねえ明日暇?」
という聞き方です。
イラッとする私の気持ちはこうです。
いや暇じゃねーから。忙しいから。「何時にどこで○○」っていうわかりやすい用事はなくても、仕事とか勉強とか、やるべきこと/やりたいことはあるの。だから暇じゃないの。もしあなたが私をごはんか何かに誘おうとしているのだとしたら、特にその時間に特定の用事がなければ喜んで行くけど、それはあなたのためにわざわざ時間を空けているの。そこをわかってほしいなあ。
暇っていうと、あたかも「あなた、やることなくて時間を持て余しているんだろうから、どうせやることないなら付き合ってよ」みたいにきこえてしまいます。
だから、私は「暇?」と聞かれると「この人はデリカシーがないな」「この人はほんとうにやることがなくて自身が『暇』だから、『暇』と聞かれてイラッとする感覚がわからないんだろうな」などと思ってしまいます。
もちろん、言っているほうはそんな意図がなくて言っているということはわかっているので、当然怒ったりはしないけれども。
でも「うん、特に用事はないよ」っていいかえるけど(←心が狭い)。
でも、どうしてもほんのちょっと他人のことを考えれば、「暇?」と聞くって発想にはならないんじゃないかなあ。。と思ってしまう。
「暇?」を文法的に考察すると
「暇(閑)」の意味を辞書で引いてみると
ひま【暇/▽閑】 の意味
- [名]
- 1 継続する動作などの合間に生じるわずかの時間。「食事をする暇もない」「暇を見て外出する」
- 2 事をするための一定の時間。「暇のかかる仕事」「手間暇」
- 3 自由に使える時間。なすべきことの何もない時間。「暇を持てあます」
- 4 休暇。休み。「一週間の暇をいただく」
- 5 主従・夫婦などの関係を断つこと。縁を切ること。
- [形動][文][ナリ]自由になる時間がふんだんにあるさま。なすべきことの何もないさま。「明日は暇だ」「商売が暇になる」「暇な人」
「明日、暇?」は、「明日、(あなたは)暇(なのか)?」の略なので、「暇」は名詞として使われているのではなく、明らかに「暇だ」という形容動詞として使われています。
そして、上にみてのとおり、形容動詞としての「暇だ」の意味は、
「自由になる時間がふんだんにあるさま。なすべきことの何もないさま。」
つまり、「暇だ」という言葉に「忙しいかもしれないけど、特に用事がない」という意味は全く無く、「やることが何もない」ことを意味するのです。
そして、「金曜、ヒマ?」と聞くことは、「金曜、自由になる時間がふんだんにあって、なすべきことは何もないよね?だったらクラブいこうよ」と言っているに等しいのです。これ、割と忙しくしている人に言ったら怒りそうですよね。
この「暇」の意味を考えれば、自分で「暇」というならともかく、他人に対して「暇」と聞くのは失礼きわまりないことが明らかなのです!(力説)
ちなみに、名詞の①の意味なら単に「特別な用事がない時間」というニュートラルなニュアンスなので、どうしても「暇」という言葉を使いたいなら、「明日夜、暇ある?」という言い方であれば失礼じゃない、かな。文法的には。それなら「予定ある?」って聞けばいいじゃないかと100%思うのだけど…
でも、「暇?」と聞かれて失礼だなと思うのは私だけなのかもしれない
しかし、実際には「暇?」と聞く人の、多いこと多いこと。
特に大学生のときは、ほんとうにそう聞く人が多発していました。まあ、大学生はたいてい暇だからね(学校や学部にもよるみたいだけど)。。
社会人になって、周りの人もみんな忙しくて、「暇?」と聞く人はだいぶ減ったけれど、それでもまだ「暇?」ときく人は結構いる。
あまりに多いので、ほとんどの人は「暇?」と言われても別に何とも思わないんだということに気付きました。
英語のAre you free?も「予定ある?」的なニュアンスなんだろうしな。たぶん。それと同じ感覚で使っているのかも。
言葉遣いは「自分に厳しく、他人にやさしく」
先日、「『主人』という言葉が死ぬほどいや」という女性作家さんの話をだれかがSNSでシェアしていて、それに「わかる~」「『旦那』もだよね」「『嫁』って言われるのもいや~」などといったコメントがついていました。
「主人」「旦那」は、夫が上で妻が下であることを含意しているとか、「嫁」は姑からの呼ばれ方だとか、嫌だという理屈はとてもよく理解できます。彼女たちは非常に正当なことを言っていると思う。
だけど、同時に、「ほとんどの人は別に『夫が上、妻が下』という意図なく『旦那さん』とか『ご主人』とか言ってるんじゃないの?『夫さん』って言葉はないし…」と感じてしまいました。
でもそれって、わたしの「暇?」という言葉に対していらだつ気持ちと、ほとんどの人は別に何とも思わない感覚とまったく同じことなんですよね。
だから、「暇?」に限らず、ヒトから自分が好きじゃない言葉を使われても、すぐにイラッとせずにもっと寛大になろうと思いました。
他方で、言葉のチョイスを含め、言葉遣いは、その人がどれだけ深く物事を考えているか、人格、心遣い、人物像を如実に映し出す鏡です。言葉遣いは、その人のことを尊敬するきっかけにも幻滅するきっかけにもなりえます。
だから、「自分の」言葉遣いにはよーく気を付けましょう。反対に、「他人の」言葉遣いには寛大に。
自分にきびしく、他人にやさしく。
ワンピースのゾロ、ナルトの我愛羅 ー 目の周り黒めのキャラが好きすぎる
「受動的ビッチ」についての解説をまじめにするよ!【クズの本懐】【牧場の主】
「受動的ビッチ」とは
「受動的ビッチ」という種類の人間がいます。
注・佐野ひなこが可愛くてこんな子がビッチだったらいいな(変態麦目線の妄想)とちょっと思ってしまっただけで、佐野ひなこがビッチという意図はみじんもありません。ご容赦ください。
現実の世界では自ら「私が受動的ビッチです」などという人はいないと思うので、そんな人周りにいないよと思うかもしれません。
それならば二次元の人物で説明しましょう。たとえば、『クズの本懐』の主人公・花火(ただし一応まだ処女なので受動的ビッチ予備軍)であり、『東京アリス』の(翡山にハマる前の)円城寺。
滲み出るビッチ臭
そして、「受動的ビッチ」は、三次元(現実世界)にもたしかに存在します。私の周辺にもいます。
今日は、そんな「受動的ビッチ」の正しい解説をまじめにしたいと思います。
受動的ビッチが抱える4つの矛盾
受動的ビッチは、4つの矛盾を抱えています。
4つも 矛盾を抱えているなんて女性って複雑。。とお思いになるかもしれませんが、なんというか、非常に薄っぺらい矛盾なのですが。
① 他人から向けられる好意はなんとキモチワルイ。でも、同時に、キモチイイ。
受動的ビッチは、モテます。だけど、他人に興味がありません。
彼女らは、たくさんの男から好意を向けられますが、興味がない男から好かれても、「キモい」だけなのです。
その正直すぎる表現ゆえにかなり有名になった一言。花火が「受動的ビッチ」として開眼する前のことです。
彼女らは、表面上ニコニコしてデートにつきあいますが、
「こいつほんとキモい。自分の顔、鏡でみたことあんのかな~」
「あーほんと話つまんない。これ(食事)はさすがにおごってくれると思うけど、この時間、ごはん代でもペイするかね。時間の無駄。早く終わらないかな。」
などと思っています。
あざとさMAX。 出典:http://googirl.jp/renai/1506date265/
しかし、人間、ちやほやされるのは悪くないと思うもの。受動的ビッチとて例外ではありません。
彼女も、なんだかんだで男が寄ってくることについては気を良くしてしまいます。
② 自分の「モテ」を自覚している。しかし同時に、モテに快感を覚える自分を見下している。
受動的ビッチは、自分がモテることを知っています。つまり、自分が異性にとって魅力的であることを知っているのです。
そして、すでに述べたとおり、いろいろな人がちやほやしてくるのを心地いいとも思っています。
しかし、同時に、男が寄ってくるのを快感に思う自分を、「くだらない」「浅はかだ」とも思っています。ここが能動的ビッチと違うところ。
ほとんどの男は、私の人格とか人柄とか能力とかをみているわけではない。単に私の容姿とか表面的なものを気に入って「女」としてやさしくしてくるだけなのだ。それはわかっている。それなのに、どうしてもそれが心地いい。いい気になってしまう。そんな自分が、本当に浅はかだ、と。
ちなみに積極的ビッチは他人の好意を罪悪感なく「キモチイイ」と思うようです。
『クズの本懐』に登場する天性の男好き、茜。こんな人いるのか…?
③ 他人に興味がない。だけど、他人に拒否されるのは恐い。
受動的ビッチは、他人にそんなに興味がありません。
だけど、「他人には別に嫌われたっていい」というほど強い心の持ち主でもありません。
これが「受動的」たるゆえん。
よく、「自分に自信がある『から』自分から積極的にアタックできる」、「自分に自信がない『から』アタックできない」みたいなことを言われると思うんですが、自信があるかどうかと、恋愛に積極的かどうかってあんまり関係ない気がするんですよね。ここに「受動的ビッチ」に関する誤解がちとあると思うのです。
たとえば、『クズの本懐』における、受動的ビッチの説明の部分。
ようするに、 受動的ビッチ=自分に自信がないから男と付き合って求められたいと思う、と説明だと思うのですが、それはちょっと違うと思うのです。すでに述べたとおり、受動的ビッチは、自分がモテることに自覚的です。自分に自信がないわけではありません。むしろ、どちらかというと自信があります。
恋愛にかんして積極的になれるかどうかは、「なにかしたい」「なにかほしい」という衝動(告白という行動につながる衝動)よりも、「拒絶されて傷つきたくない」っていう気持ちのほうが強いかどうかによって決まるのだと思います。
積極的に行ける人は、「なにもしなければ好きな人は絶対に手に入らない。アタックすれば手に入る可能性はゼロじゃない。当たって砕けて失敗しても、彼/彼女が手に入らないだけなのだから、何もしなかったのと同じ結果なだけ。」と考えることができます。た、たしかに。正しいです。反論できない。
しかし、当たって砕けるという決断をするのがどれだけ難しいことか。
アタックしてもし拒否されたら?当然傷つきます。傷つくのはつらい。それが好きな人だったなら、なおさらつらい。そんなつらい思いしたくない。
さらに、受動的ビッチは、興味がない人から好かれることが「キモイ」ことをよく知っています。いつも自分が思っていることだから。
だから、好きな人がいても、彼が自分に興味がないことがわかっているなら、うっかり好きなんて言ってしまって気持ち悪いと思われたくない。おまえなんか好きになるわけないじゃん、と失笑されたくない。
受動的ビッチは恋に恋しがち
その代わり、彼女は、頼んでもいないのに好いてくる男の相手をするのです。彼らは、「彼らが求める私」を演じさえすれば、決して拒否することはないので。
④ 特別男好きというわけじゃない。だけどみんなにやさしくする。なのに男を選り好みする。
受動的ビッチは、特別男好きというわけではありません(男好きなら能動的ビッチになってるはず)。
しかし彼女は、自分自身他人から拒否されることを心底おそれているので、自分の好意を拒否された人がひどく辛い思いをするだろうということが想像できます。
それゆえ、彼女は、全く興味がない人に対してもあからさまに拒否したりはしません。たとえ心では「キモイ。ウザい。」と思っていても、優しく接します。言い換えれば、誰に対しても媚びを売る。
彼女がいようがいまいがすべての女性にやさしい男性っていますよね。あれと一緒なのではないでしょうか。
他方で、一定の関係以上になる男については選り好みします。女は矛盾だらけ。
『クズの本懐』の花火も、麦がイケメンで成績優秀じゃなくて、ブサイクのアホだったら付き合わ(付き合うふりをし)なかったでしょう。
それは、誰に対しても媚びを売ってしまう、軽蔑すべき自分への、せめてもの弁解です。
私は寄ってきた男と右から順に寝ていくヤリマンではない。付き合う男は選択しているのよ、と。
受動的ビッチは「牧場の主」であるべきで「他人の牧場の牛」になってはいけない
冒頭でも述べましたが、『東京アリス』という漫画では、円城寺という女の子が典型的な「受動的ビッチ」で、周りの男と気の向くままに遊んでいます。
円城寺は、なんとそれを「私の牧場」と呼び、自分が遊んでいる男たちを「牧場の牛」にたとえます。
『東京アリス』に限らず、女性向け漫画は表現や比喩がなんかスゴイというか、女性独特ですよね(笑)
うーん、言い得て妙。牧場の牛はいつもは放し飼いにしていて、気が向いたときに気が向いた牛を呼び寄せる。牧場に入れるときはセレクトするけど、去ろうとする牛は追わない。という感じでしょうか。なんか牛っていうのもやさしそうというか、ちゃんとわかってて柵の中にいますよ、っていう感じするよね。ビッチも男のやさしさに甘えてる自覚はあるということかな。
円城寺が「牧場の主」タイプならば、「牧場の牛」タイプは、男に体よく利用されてしまうけど、それでも私にはこの人しかいないの、と尽くしてしまう、そうひとことでいえばだめんずうぉーかーです。DV男を許してしまいがちな女性です。
そんな「牧場の主」だった円城寺は、翡山というワルイ男に出会い、遊ばれているだけだと頭でわかりながら、翡山にどんどんハマっていってしまいます。そう、今度は逆に、自分が他人の「牧場の牛」になっていってしまうのです。
円城寺と翡山。いかにもクズそうな男…
ところで、円城寺の友人・理央も、円城寺と同じく「牧場の主」タイプ。他方、2人の共通の友人・みずほは逆に「牧場の牛」タイプ。円城寺が翡山にだんだんハマりつつあるとき、円城寺の変化に気付いた理央が、円城寺に言ったことば(手元に同作がなく、正確ではないと思いますが、すみません。)が秀逸。
「あんたは『牧場の牛』になっちゃだめよ。あんたは、みずほみたいに強くないんだからね!」
たしかに、「牧場の牛」は強くないとなれませんね。相手には自分以外の女もいるとわかっていてもなお付き合えるのですから。
最後に
こんな物知り顔で受動的ビッチの解説をしてる私まじでなんなんだ、とはじめ3分の1くらい書いたところですでに思いましたが、『クズの本懐』けっこう好きなので宣伝ついでだと思って書きました。
みなさん、それぞれつらいこともあると思いますが…いい恋愛しようね!!
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原作に匹敵?「星の王子さま」のアニメが美しすぎる
女子がたいてい好きな「星の王子さま」
聖書の次に世界中で読まれているといわれている、サン=テグジュペリの名作「星の王子さま」。
わたしも大好きです。てか女子はだいたい好き。男性のみなさんは彼女や奥様と箱根に行ったときは、「星の王子さまミュージアム」に行くと絶対に喜ばれると思います。
とにかく絵がかわいい
女子人気の秘密は、作者のサン=テグジュペリが描いた、とにかくかわいい挿絵。
「星の王子さま」「Little Prince」といえば、この絵を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。内容に負けず劣らず魅力的なこの挿絵なしではこの本はここまでベストセラーにならなかったのではないように思います。
日本ではあまり見かけませんが、海外では結構見かけるhump(スピード運転を防止するためのこぶ)の道路標識が、どうしてもゾウをのみこんだウワバミにみえてしまう人は私だけではないのではないだろうか。
映画「星の王子さまと私」の映像クオリティがはんぱない
つい最近知ったのですが、2015年に「星の王子さま」は映画化されていました。
正確には、「星の王子さま」そのものを映画化したものではなく、同作を題材にした映画(原題は「The Little Prince」、日本語版では「リトルプリンス 星の王子さまと私」)です。
映画館での公開は終了しましたが、現在は、Netflixで配信されているようです。
私は実はまだ見ていないのですが、作中の「Little Prince」の部分の映像がはんぱなく美しいのです。
すべて紙から手作りしたそうで、かなりの労力と時間を必要としたとか。
Little Princeの儚さと、夢か現かわからない幻想的な雰囲気が非常に効果的に表現されています。監督のOsborne氏は「この本の詩的で繊細な雰囲気はCGアニメでは決して表現できないと思った」と語っていますが、その試みは見事に成功したといえるのではないでしょうか。
小説は英語版を読むのがおすすめ
原作はフランス語です。日本では、長らく岩波書店が著作権(独占的翻訳権)を有していたので、日本語版としては岩波書店から出ていた「星の王子さま」しか流通していませんでしたが、2005年1月22日にその著作権が切れ、それ以降、多くの書店から日本語訳が出版されています。
すべての日本語版を読んだわけじゃないけど、やっぱり、日本語訳だといまいち不自然だしわかりにくい。。
なので、フランス語が分かる方はぜひ原作を読んでみてください。
といっても、フランス語がわかる方はそんなにいらっしゃらないかなあと思う(私もわかりません)ので、英語版をおすすめします。
日本語版と同じく、英語版もいくつかあります。
古くからの英語ネイティブのファンには、1943年に出版された一番古い英語訳であるKatherine Woodsによる「The Little Prince」が一番人気であるようです。
それ以降に出版されたものだと、2000年に出版されたRichard Howardによる「The Little Prince」がポピュラーだそう。
英語ネイティブにも賛否両論だそうですが、Woodsによるもののほうが、言葉のチョイスやニュアンスが考え抜かれいてリズム感もよい、という意見が多いようです。
Woodsバージョンはたしかにふるめかしい単語がでてきてところどころ「??」となるのですが、上記のとおりリズムがいいし、表現も詩的で素敵だと思います。迷うのであればWoodsバージョンが個人的にはおすすめ。
とはいってもどれもニュアンスが変わる程度ではありますので、気に入ったものを一つ読んでみてはいかがでしょうか。
時には昔の話をしようかー「秒速5センチメートル」の良さがわからない女子、その気持ちがわからない男子。
なぜか男ウケがはんぱない「秒速5センチメートル」
新海誠監督の 「君の名は。」の大ヒットで、同監督の作品であるショートムービー「秒速5センチメートル」も一躍有名になりました。
この「秒速5センチメートル」、女性より男性に評判がいいんですよね。私の周りでもやたらと「秒速5センチメートル」を推すメンズが多いです。
他方で、私(女)は、正直「???(すごいすすめられたから観たけど、映像がきれいなところ以外どこがよかったんだ?)」という感じでした。
その後、「秒速5センチメートル」の感想ブログなどを読んで、なぜこの感想の違いが生じたのかがわかりました。ヒントは、
「女は『上書き保存』、男は『新規作成』で『名前を付けて保存』。」
という、もはや使い古された感のあるフレーズにあります。
男性視点「これ完全にオレだわ(´;ω;`)ブワッ」
(以下若干ネタバレになります)
主人公の貴樹は、小学校の同級生、明里ちゃんと出会います。2人はとても仲良くなりますが、中学校に進学する際引っ越しで離ればなれになります。しかし、その後も、文通でほそぼそとやり取りをして心を通わせていました。
中学一年のある冬の日、貴樹は何時間も電車を乗り継いで、明里ちゃんに会いに行きます。そこで、突如、お互い「運命の人」だと直感するのです。
しかし、貴樹と明里ちゃんは、相手を他に代えがたい唯一無二の運命の人だと直感しつつも、お互いに想いを伝えられないままにその場をあとにします。そして、この「運命の日」を境に、連絡が次第に途絶えてしまいます。
貴樹は、この日から、自分でもわからない「何か」を求めてさまよい続けているような感覚で生き続けることになります。
というか、貴樹が求めている「何か」とは明らかに明里ちゃんなのですが、どういうわけか彼はそれに気づかず、ずっとなにかが足りないような気がしながら中学を卒業し、高校、大学と進学し、社会人になります。
貴樹はそれなりにイケメンでもあり、明里ちゃんを失ったせいでいつも人と距離を置き、切なそうにしているミステリアス青年なので、高校生のときは貴樹を好きで好きでしょうがない可愛い女の子(花苗ちゃん)が現れ、社会人になってもちょうどよさそうな女性(水野さん)と付き合うのですが、どの女性も、彼が求めているのが「自分」ではないことに気づき、貴樹から離れていきます。
結局、貴樹にとっては、明里ちゃんしかありえなかったのです。明里ちゃん以外の人には、彼の心の穴を埋めることは決してできない。少なくとも、貴樹自身はそう思っています。
でも、貴樹は、それに20代後半になるまで、自分が求めているのが明里ちゃんであることに気づけなかった。それまで、幾度も明里ちゃんを取り戻そうと思えばできたのに、それをしなかった。
気づいたときには、明里ちゃんの連絡先もなにも知らない。でも、彼女はきっとどこかで幸せに暮らしているだろう。自分の知らない大切な人もいるだろう。だから貴樹くんは、いまさら明里ちゃんを求めようとせず、あきらめます。実際に明里ちゃんは、ほかのだれかと結婚しようとしていて、貴樹の関係のないところで幸せになろうとしていた。もう明里ちゃんは取り戻せないのです。時すでに遅し。
おしまい。
これに、男性は、「コレ完全にオレだわ」と思ってしまうらしいのです。
彼らには、いままで何人と付き合ってきたとしても、いま彼女や奥さんや子供がいてどんなに幸せであるとしても、自分にとって「特別」な女性がいるのでしょう。
そして、その特別な女性は、ほかのだれにも、もちろんいまの彼女や奥さんにも代替できる存在ではなくて、本当に特別な存在。
もちろん、いまは幸せ。いまの彼女や奥さん、家族のことは愛していて、その気持ちも本当である。だけど、もし、あの女性と結ばれていたら。なんて、たまに考えることはないでもない。
こういう状況が、貴樹の気持ちとシンクロするのですね。
この「これ完全にオレだわ」現象、太宰治の『人間失格』と同じ現象ですね。
「秒速5センチメートル」の貴樹くんとと驚くほどよく似た男性が登場する小説があります。
「国境の南、太陽の西」の主人公・始(はじめ)は、小学生のとき、同級生の島本さんと出会います。2人は、小学生ながらなんとなく相通じるものを感じ、仲良くなります。放課後は毎日、島本さんの家で一緒にレコードを聴き語り合う。始と島本さんは、互いに最高にして唯一の理解者でした。
しかし、中学生になると、始は同世代の女の子の自宅に訪れることになんとなく気まずさを感じるようになり、島本さんの家から足が遠のいていき、ほどなく会うことも連絡を取り合うこともなくなります。
しかし、その後、始は、島本さんがいない人生にとんでもなく大きな欠落を感じながら生きていくことになります。
島本さんと音信不通になったあとも、何人もの女性と出会い、恋愛めいたことをし、結婚もしますが、島本さん以外の女性のいずれにも「自分のために用意されたなにか」を見つけることができなかったのです。
ここまで、ほぼ「秒速5センチメートル」と同じですね。
「国境の南、太陽の西」での主人公・始の語りは、まさに「秒速5センチメートル」の貴樹の気持ちそのものといっていいと思います。
「国境の南、太陽の西」に「秒速5センチメートル」をむりやりあてはめるとしたら、貴樹が始、明里ちゃんは島本さん、花苗ちゃんはイズミ、水野さんは久美子(始の妻)、といったところでしょうか。
しかし、「秒速5センチメートル」と大きく違うのは、始が自分の空虚感を埋めるべく周りの女性を次々に傷つけていったことです。貴樹は花苗ちゃんや水野さんを傷つけるようなことは決してしませんでしたが、始はイズミも奥さんをも深く傷つけてしまいます。
もっとも、始の島本さんを求める気持ちというのが「国境の南、太陽の西」のメインテーマでもないので、村上春樹の話はこのへんにしておきます。
女子の視点「中二病・マスターベーション映画」(ファンの方すみません)
私の感想が女子全般の感想として一般化できるかは不明ですが、一女子の感想としてお読みください。
全体的にポエムで綴られるストーリー
ハッキリ言って、私が「秒速5センチメートル」を観ている最中の感想は、「完全に中二病まるだしのポエム映画」でした。
作中では、貴樹の心のポエムが炸裂します。
その瞬間、永遠とか、心とか、魂とかいうものがどこにあるのか分かった気がした。(「桜花抄」 by 中学生の貴樹)
僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、どうしようもなく横たわっていた。でも、僕をとらえたその不安は、やがて緩やかに溶けていき、あとには、明里の柔らかな唇だけが残っていた。……あのキスの前と後とでは、世界のなにもかもが変わってしまったような気がした……(「桜花抄」 by 中学生の貴樹)
ただ生活をしているだけで、悲しみがすごくここに積もる、日に干したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、携帯電話の履歴にも。(「秒速5センチメートル」 by 大人の貴樹)
この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのか…も分からずに、僕はただ働き続け…た。そして、ある朝、かつて、あれほどまでに真剣で切実だった思いがきれいに失われていることに…気づ(い)た時、会社を辞めた。(「秒速5センチメートル」 by 大人の貴樹)
さらに、高校生のときは、誰に送るでもない自分の気持ちを綴ったメールを意味ありげに書きつづけます。
というか、宛名のないメールを崩れるほど書くくらいだったら、ぜひBUMP OF CHICKENの『天体観測』を使ってほしかったなあ。歌詞的には第2話「コスモナウト」にはぴったりの内容なのに。
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こういった心のポエムとか、喪失感とかが、男性には超響くみたいなんですよね。繰り返しになりますが「めっちゃわかる!てか俺だ!」ってなるらしい。
でも、女子から見れば、次から次へと繰り出される主人公のポエムは痛すぎて唖然とするレベルですし、宛名のないメールを書き続けるあたりも、思春期特有の「俺くらい深い悲しみや喪失感をもっているやつなんかいないだろう」「俺はほかのやつらとは違うぜ」みたいな雰囲気があってイタいなあと思ってしまう。そもそも第1話の題名である「桜花抄」、第2話の題名である「コスモナウト」とかいうネーミングも中二病っぽいし。
おそらく、女性はより現実主義者なんでしょうね。
過去の恋愛を「上書き保存」は言い過ぎかもしれないけど(実際元カレのことはきれいさっぱり忘れてしまう人も一部にはいますが)、「本当はあの人のことが一番好きだったんだけど、『もしも』なんてあり得ないのだからしょうがないよね。」「今はいまで幸せなんだから、これが私の来るべき道だったんだと思おう。」などと、現実に心をフィットさせようというマインドが強い気がします。
あと、お子さんをお持ちの方は、子供に対する責任感の強さも一つの要因としてあるかもしれない。
実際、「秒速5センチメートル」の作中でも、貴樹はずっとずっと明里ちゃんのことを思い続けているのに対し、明里ちゃんは(貴樹のことを忘れてはいないでしょうが)そこまで悩まずにほかの人と結婚しようとしています。
挿入歌「One more time, One more change」とのコラボについて
「秒速5センチメートル」では、かの有名な山崎まさよしの名曲「One more time, One more chance」が使用されています。
ネットでは、ストーリーとこの曲の歌詞のシンクロ具合がはんぱねええええええええと絶賛の嵐なのですが、個人的には、「いや、この曲使うのマジでやめてくれよ」と思いました。
一つには、私が「秒速5センチメートル」に感情移入できなかったために、本気のラブソングであるこの曲を流されたことで、「そんなシリアスな話じゃねーだろ」とイラッとしてしまったということがあります。でもこれはごく少数派の意見であることはわかっているのでまあいいです。
一番私が気に入らなかったのは、サビの「こんなとこにいるはずもないのに」の部分で「こ」「ん」「な」「と」「こ」「に」「い」「る」「は」「ず」「も」「な」「い」「の」「に」と一文字一文字のリズムににあわせてカットが変わるところです。
そんな細かいところいーじゃん、って思われる方が大半だと思いますが、あのカット割りには本気で萎えました。そんなリズムに合わせる必要ないのよ、綺麗で切ない絵をただいれてくれればいいのよ、と言いたい。
- アーティスト: 山崎将義
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いろいろディスったけど、ラストはとてもよかった
観覧中何度も萎えてくじけそうになりながら、最後まで観たのは、「(『君の名は。』と違って)ラストがとてもいい。」という評判を聞いていたからです。私もラストには満足しました。
映画のラストで、貴樹は、自分が心から欲していたのは明里ちゃんだったということに気付きます。そして、そのようなとき、偶然にも婚約者と同居をはじめるため東京に出てきていた明里ちゃんとフミキリですれ違います。
このフミキリのシーンは、彼らが小学生で心が通い合っていたころのある場面にシンクロしています。一緒に下校途中の2人でしたが、貴樹が先にフミキリを渡ってしまい、明里ちゃんは渡り損ねてしまう、という場面がありました。このときは、貴樹くんは対岸で明里ちゃんを待っていて、電車が過ぎたあと2人はフミキリをはさんでお互い見つめあいます。
さて、大人になった二人。貴樹がいまだに「自分のために用意されたなにか」をもっている唯一の人と感じている明里ちゃん。彼らはフミキリですれ違い、渡り終え、十何年前と同じように、彼らの間を電車が通過します。
そして、貴樹は、十何年前と同じように、振り返ります。
さて、対岸にいる明里ちゃんは振り返ったでしょうか?
電車が通り過ぎた後、そこには明里ちゃんの姿はありませんでした。
(以下貴樹の心の声)俺はずっと、彼女がいないことに喪失感を感じながら生きてきた。
彼女がいない喪失感を埋めたくて、高校では部活と勉強に打ち込み、大学に入っても心から親しくなれる人はいなくて、社会に出てからも仕事をがむしゃらにやった。
でも、気づいたんだ。俺が求めていたのは彼女だった。それに気づいて、仕事をやめた。そして今、この東京の真ん中で、なぜか彼女とすれちがったような気がしたんだ。なのに、
「運命の人」だと思い続けていたのは俺だけだったのか?
かなしい。せつない。
でも、現実ってそんなものですよね。かなしいことやせつないことがあるからこそ、人生はドラマなのです。傷ついた過去があるからこそ、人の痛みも理解できるし、こういった映画でも泣ける。
以前「君の名は。」のラストを酷評しましたが、この意味では「君の名は。」は「秒速5センチメートル」より後退してしまったと思います。
だれしも心に「明里ちゃん」がいる
男性がみな「秒速5センチメートル」に涙するわけではないし、
女性がみな「秒速5センチメートル」を理解不能と思うわけでもないと思います。
さはさりながら、多かれ少なかれ、だれもが貴樹にとっての明里ちゃんのような想い出や存在をもっていると思います。かけがえのない、決して忘れられない存在、でも、もう絶対に取り戻せないもの。それは、ある人にとっては特定の人かもしれないし、ある人にとってはモノや風景や出来事かもしれません。
たまには、そういう自分の原点のような記憶を思い出してみるのもよいのではないでしょうか。
ウーロン茶にもジャスミンティーにも、カフェインがわりと入っているという事実
コーヒー中毒の人は、コーヒーを飲むのは午後2時までにしよう
私はコーヒーが大好きです。30分に1杯くらい飲んでいます。
しかし、コーヒーに含まれるカフェインは安眠の敵。カフェインを分解するのには5〜6時間かかる、とのネットの情報から、コーヒーを飲むのは午後5時までと決めていました。
しかし、最近、0時になっても眠くならないのはコーヒーの飲み過ぎのせいなのではと思い始めました。普通の量なら寝る5〜6時間前までにやめればよいのだと思いますが、何しろ私は30分に1杯飲んでいるので、普通の人の2〜3倍くらいは飲んでいる。
そこで、先日からコーヒー(及びカフェインが含まれる飲み物)は午後2時以降は飲まないことにしました。そうしたら、夜かなりよく眠れるようになりました!やっぱり飲み過ぎだったんだ……!
ということで、いまは、午後2時以降はコーヒーはもちろん、カフェインが含まれる紅茶、緑茶は飲みません。
しかし、ウーロン茶ならまさかカフェインが入っていることはあるまいと思って、先日、午後2時以降もごくごく飲んでいました。
すると、その夜、なんか眠れない……
もしかして、、と思って、調べてみたら、なんとウーロン茶にはカフェインが入っていたのです!しかも結構な量!
ウーロン茶の驚くべきカフェイン含有量
たとえば、その日私が飲んでいた、サントリーの烏龍茶500mlペットボトル。
サントリーの公式ホームページによると、100mlあたり20mgのカフェインが含まれているそう。つまり、500ml一本あたり100mgのカフェインが含まれていることになります。
100mgのカフェインとはどのくらいかというと、
だいたい、コーヒー約1杯 、紅茶約2杯、煎茶約3杯に匹敵する量です(出典:全日本コーヒー協会ウェブサイト)。ウーロン茶と煎茶のカフェイン量はだいたい同じくらいみたいです。
まあ、よく考えたら、ウーロン茶も緑茶も紅茶も全部同じ茶葉からできているので、紅茶や緑茶にカフェインが含まれているならウーロン茶にもカフェインが含まれているというのは当然といえば当然なのですが。
知っておきたいカフェインが含まれている飲み物・ノンカフェインの飲み物
自分自身の備忘のためにカフェインが含まれている飲み物、カフェインが含まれていない(または含まれているとしても微量の)飲み物をまとめておきます。
【カフェインが含まれている飲み物】
コーヒー
紅茶
緑茶
抹茶
ほうじ茶
ウーロン茶
番茶
玄米茶
ココア
ほうじ茶や番茶、ジャスミンティーにもカフェインが含まれていたとは。なんとなくハーブティー=ノンカフェインだと思っていたので意外な落とし穴。
【ノンカフェイン・微量のカフェインの飲み物】
麦茶
多分ウーロン茶をノンカフェインだと思っていたのは、(私の中で)麦茶と同じくくりだったからではないかと思われる。麦茶が常備されているご家庭が多いのは、子供のカフェイン摂りすぎを防止するためという知恵なのかもしれないですね。タンポポコーヒー、トライしてみたいなあ。
シンガポールに行ったらブラックペッパークラブ【チリクラブよりオススメ】
シンガポールといえばチリクラブ。
ときどきシンガポールに行きます。
シンガポールといえば、チリクラブ、ですよね。味はともかく手が汚れるので個人的には好きじゃありませんが…
スイートチリソースの甘くて辛さも控えめな味付けが日本人の好みに合うようで、日本人にも大人気のシンガポール料理です。
チリクラブを頼むと、ふつうはこういうかわいい揚げパンがついてきます。
カニを楽しんだ後は、この揚げパンにソースをつけてソースもおいしくいただく、というわけですね。
ちなみに、タイにもこのチリクラブによく似た料理があります。「プーパッポンカリー」という伝統的なタイ料理です。
プーパッポンカリーは、簡単に言うとカニとたまごのカレー炒めです。しかし、あまりカレーの味はせず、たまごの部分はあまじょっぱいトロトロのソースになっていて、とてもおいしいです。チリソースと砂糖を使っているせいかチリクラブに味が似ており、かつ、しょうゆも入っているし辛くも無いので、日本人の口に合うようです。私の母(辛いもの、東南アジア系のスパイス、パクチーは苦手)もご飯によく合うといって気に入っていました。タイに来たらぜひお試しあれ。どのタイ料理レストランにも必ずあるはずです。
シンガポーリアンおすすめ!ブラックペッパークラブ
先日シンガポールに行った際、Singaporeanとごはんをたべようということになりました。
何食べる?何がおすすめ?という話の中で、「Black Pepper Crabは食べたことある?」と聞かれ、「え、ないない!黒いカニ?なにそれよさそう!」という話になりました。彼曰く、チリクラブよりブラックペッパークラブのほうがおすすめとのこと。
ちょうどリバーサイドにいたので、チリクラブで有名なJUMBOのRiverwalk店にいきました。
金曜夜のいい時間でしたが、少し待っただけですぐに入れました。なにかのサイトで予約必須と書いてあったので、私たちはラッキーだったのかも。
早速ブラックペッパークラブを注文。
おお黒い!
ブラックペッパークラブは、チリクラブより甘くなく、胡椒がアクセントになっていて、お酒に合う感じの味。後を引く美味さです。ソースは真っ黒で胡椒がたくさん入ってそう、辛いんじゃないの…?と思うかもしれませんが、そんなに辛くないです。
私はこっちのほうが好み。甘党じゃない人は、絶対にブラックペッパークラブのほうが好きなはずです!
シンガポールにはもう何度も行っていて、チリクラブはもういいよーという人はもちろん、シンガポールに初めて行かれる人も、シンガポールにお越しの際は、ぜひSingaporeanもオススメのブラックペッパークラブを召し上がってみてください!