マイにち×○ざんマイ

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あなたも知らずに捨ててしまっているかもしれない|インドの少年から教えてもらったこと

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先日インドを旅行してきた友人が、現地で出会ったある少年の話をしてくれた。

その少年は11歳で、どのカーストだったか友人は覚えていなかったがとにかく下の方のカーストに生まれた。少年は路上でパフォーマンスをして通行人からわずかなお金をもらって生活していた。少年は「僕はいいカーストに生まれなかったからいい職業に就くことはできない。一生こうやってあまり稼げない仕事しかできない。だからこの一生を真面目に生きて、来世でいいカーストに生まれるんだ」と言ったという。

 

この話を聞いて、私はなんとも言えずやりきれない気持ちになった。わずか11歳の少年があと何十年あるかわからない人生をただ我慢して生きるのだと言っている。

もちろんカーストは彼が生きている社会に深く根ざしたもので、彼が抗えるものではないだろう。だけど一歩国の外に出ればカーストなんて関係ないはずだ。能力と頑張り次第で一流の大学に入れるかもしれないし、ビジネスで大成功できるかもしれない。本当はもっと能力を活かしてもっと幸せになれる可能性があるのに、その可能性の存在自体を、彼は知らない。知らずに、一生涯我慢するしかないと思っている。しかもそんなに若くして。

 

しかし、この話を別の友人にしたら、彼の反応は違った。彼は「俺たちも同じようなものだよ」と言った。

視力が悪い人はどんなになりたくても宇宙飛行士にはなれない。美人でスタイルが良くなければどんなに頑張ったってモデルにはなれない。どんなになりたくても、どんなに頑張っても、持って生まれた資質や能力ではなれないものが必ずあるのだ。

それに、本当はある分野でものすごく活躍できるかもしれないのに、知らない間にその可能性を潰してしまっていたり可能性に気づいていないことだってありうるのだ。専業主婦をしている女性が実は経営の才があるかもしれないし、平社員をしている人が実は売れっ子アーティストになれる資質を持っているかもしれない。もっと取り返しのつかないところで言えば、違う教育を受けていたら持って生まれた資質や能力をぐんと伸ばせてこの広く素晴らしい世界で活躍できたかもしれないのに、教育を間違えたせいで平々凡々な人になってしまった人もいるかもしれない。でも彼らは自分の可能性(があったこと)に気づいてすらいない。インドの少年と何が違うのだろう?

 

私も その時々で精一杯生きてきたつもりだけど、もしかしたら育てきれなかったモノがあるかも知れない。いずれにしても私自身は残念ながら可塑性のある時期をもう過ぎてしまったから過去のことについてたらればの話をしてもしょうがない。だけど、手遅れじゃなくてまだ間に合うこともあるかも知れない。だから無意識に引いているかもしれない自分の限界を意識して取り除かなければいけないと思う。もっと大事なことは、いつか自分の子供が生まれたら、彼(彼女)の可能性はできるだけ潰さないように、彼(彼女)の選択肢が無意味に制限されないように育てたいと思う。