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堀江貴文とドランク鈴木拓は実は似ていた

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仲良くろくろを回す堀江氏とドランクドラゴン鈴木氏

 

堀江さんもドランク鈴木さんもよく人となりを知っているというわけではないが、彼らのインタビュー記事(リンクは一番下に掲載)を読んで、この2人の考え方はかなり似ているものがあるな、と思った。

 

彼らの突出した点は、自分に対して非常にドライだということ、自己肯定感が半端ないこと、目的志向型の超リアリストであるということに要約できる。

 

 

① 自分に対してきわめてドライであるということ

 

「我が身かわいさ」とか「プライド」がない(あるいは捨てている)と言い換えることもできる。

ホリエモン「言い訳をする奴はクズ」(※私による要約)という。ドランク鈴木「才能のない奴は努力をするな」という。

彼らは、自分の能力、長所短所、他人からどう見られているか、などを、きわめて客観的に物凄くシビアに見ている。多くの人がするように、自分に甘くやらないことの言い訳をすることもないし、いくら頑張ってもできないことは(心情的にやりたかったとしても)やっても無駄として最初からやらない。

これは結局、彼らが目的志向型のリアリストであること(③)に起因するものではあるが、ここまでドライになれるのは、自身の自己肯定感(②)に支えられているからでもある。

 

② 強い自己肯定感

 

ホリエモンは「自意識とプライドを捨てよ」「人からどう見られているかなど気にするな」という。しかし、それは、「他人の目なんて全く気にしなくていい」とか「嫌われてもやりたいことを貫け」などということではない。彼の趣旨を正確に表現するなら、「人からどう『見られているか』を気にするな」というより、「人からどう『見られたいか』を捨てよ」ということだと思われる。

ドランク鈴木はまさにそれを実践している。彼は記事でこんなことを言っている。

「自分の人生や生活に関係ないところ、どうでもいいヤツらに何と思われても何を言われてもいいんです。僕は。全然まったく一切気にならないです。SNSとかインターネット上の評判なんて、まぁどうでもいいですから。好感度なんて、まぁいらないですから。・・・「あぁ、また奥さんに肩身の狭い思いをさせるなぁ」とは思うんですけど、でも好感度が鈴木家にメシを食わせてくれてるワケじゃないですから。」

もちろんホリエモンも、ネットでは彼に好意的な人が多いが(一部には崇拝者までいるが)、一般的には依然あまりいいイメージを抱いていない人が少なくないことは自覚しているだろう。かなり前だけど茂木健一郎さんと一緒に「嫌われ者の流儀」という本まで出しているくらいだし。

 

これだけ他人(ただし自分と関係のない人に限るが)から嫌われても、クズだと言われても、平気(実際のところは少々凹むこともあるだろうが)なのは、彼ら自身が言うように、「要らないプライドを捨てているから」である。しかし、「要らないプライドを捨てる」ということ自体がなかなか難しい。彼らがそれをできるのは、自己肯定感が半端ないからだ、と思う。

 

自己肯定感は自信と似ているが、少し違う。

自信自分自身が「スゴい」ことに対する感情である。だから、自信は、何かの拍子に「自分はすごくないんだ」と気づいたり「自分よりスゴい人がいるんだ」と知ったりすることで壊れることがままある。

しかし、自己肯定感自分の長所も短所も全て受け入れられることである。自己肯定感は幼少期からの成長の中で徐々に育まれるもので、順調に自己肯定感が醸成されれば、ちょっとやそっとのことでは失われることはまずない。その代わり、成長過程でうまく自己肯定感が醸成されないと、大人になってから自己肯定感を獲得するのはかなり難しい。「黒子のバスケ」事件の被告人も、最終意見陳述で、自分は成長過程で自己肯定感を獲得できなかったというような話をしていた。

 

 

③ 目的志向型の超リアリスト

 

彼らは、自分の目的や最も優先すべきことをクリアに持っている。ホリエモン「言い訳をする奴はクズ」というのは、日々の忙しさに追われて目的を忘れてしまう、「木を見て森を見ず」の状況に陥るのを、彼が最も愚かなことだと思っているからだろう。

そして、彼らは目的達成に最適化した行動をとる。目的達成を阻害するものは(感情的に捨てがたいものだとしても)躊躇なく捨てられる。それは、かっこよく思われたいという小さな見栄だったり、みんなに好かれたいと言う八方美人的な考えだったり、あれもこれも欲しいという欲張りな考えだったり、いわゆる「情」だったりするかもしれない。でも、彼らは「一番大事なこと/ものは何か」を常に見失わず、それを阻害することに決して流されない。

一言で言うなら「極端に合理的」なのである。

 

彼らみたいな人は、要するに、単純に「素直」に生きているのである。だから裏表がなく、とても清々しい。個人的には結構好きな部類の人間だ。

しかし他方で、人間関係もきわめて合理的に選択する傾向がある。「自分の人生に必要ない」と思った人に対してはとんでもなく酷い態度(例えば、いないものとして扱っているような態度)をとったりする。だからと言って、こういう態度をとられても怒ることなかれ。彼らに悪気はないのだ。単に、あなたが彼らにとって「付き合う価値のある人間ではない」と判断されただけなのだ。


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