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村上春樹ファンをただのミーハーと思っている人へ。

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「ハルキスト」は「意識高い系(笑)」なのか。

 

私は、村上春樹の小説が好きだ。

 

でも、「村上春樹を好き」ということは、なんとなくヒトに言いづらいところがある。村上春樹は日本の現代作家で最も人気かつ有名な作家の一人である。ノーベル文学賞候補にも毎年挙げられるほど、彼の作品は国外でも評価が高い。「好き」と言って恥ずかしいことなんかないはず。だけど実際は、「村上春樹が好き」と言うと、「あ、本読むっていってもそっち系ね」とでも言いたげに苦笑いをする人が多い。要は「あ~ミーハーなんだね(苦笑)」ということだ。

村上春樹が好き」≒ミーハー、厨二病、意識高い系 みたいなイメージがあるのは、村上作品が読んだところ「意味がわからない」からだろう。

村上作品は荒唐無稽なことをいかにも意味ありげに並べているけれど、実際には意味なんてない代物だ。そんな無意味なものをファンは解ったような振りをして喜んで読んでいる、裸の王様みたいなものだ。あの翻訳風のキザな描写の仕方もいかにも厨二病が好きそうな感じ。ストレートであっけらかんとした性描写も現代的で、ギムレットやらオムレツやらホットサンドやら、何そのお洒落な洋書気取りな感じ。村上春樹が好き」と聞いて苦笑する人が思っていることはこんなところだろう。

だから言えないんだよね、村上春樹が好きって。

 

夏目漱石だって同じくらいわかりにくい 

しかし、ちょっと待ってくれと言いたい。村上春樹はたしかにわかりにくいけど、夏目漱石だって同じくらいわかりにくいよ。当時の社会情勢とか、漱石のライフイベントや人生観の変遷とかがわかっていないと全然理解できないもの。というか、深読みできない小説は、文学作品とはいえないんじゃないかと思うし。。

 

村上春樹は、実は言うほどわかりにくくはない。

たしかに、わかりにくい作品もある。たとえば、初期の二作品(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」)は、説明されていないことがあまりにも多すぎて、一読しただけでは本当に意味がわからない。他の作品も読まないとわからないことも沢山あるし。

でも、たとえば、大ヒットした1Q84。このテーマは一言で言うと「愛」と「悪との闘い」で、言わんとすることは非常にわかりやすい。もちろん、マザやらドウタやら、意味不明なワードがたくさん出てくるし、村上作品にはもはや定番の、謎かけみたいな言葉ばかり残していく超美少女も登場するしで、ふつうの現代小説よりはわかりにくいけれど。

 

村上春樹作品はなぜわかりにくいのか

村上春樹のわかりにくさは、おそらくテーマが難解なことにある。

彼が自分の作家としての使命をどう考えているかがわかるインタビュー記事があったので、少し長いけど、引用する。

「人間の存在というのは二階建ての家だと僕は思ってるわけです」・・・つまり一階はみんなが集まってごはんを食べたり・・・するところ。二階は個室や寝室で、一人になって本を読んだり、音楽を聴いたりするところ。そして地下室には特別ないろんなものが置いてあります。・・・

 でも「その地下室の下にはまた別な地下室があるというのが僕の意見なんです」と村上春樹は言います。その地下室は非常に特殊な扉があってわかりにくいので普通はなかなか入れないし、入らないで終わってしまう人もいます。でも何かの拍子にフッと中に入ると、そこに暗がりがあるんですというのが村上春樹の意見でした。

 「その中に入っていって、暗闇の中をめぐって、普通の家では見られないものを人は体験するんです。それは自分の過去と結びついていたりする、それは自分の魂の中に入っていくことだから。でも、そこからまた帰ってくるわけですね。あっちに行っちゃったままだと現実に復帰できないです」と語っていました。

 ・・・つまりこの地下二階の地下室に入っていくには危険性(リスク)があるのですが、その特殊な扉を開けて地下二階の地下室に入り、深い暗闇の中にある自分の過去や魂の世界を見て記述し、またちゃんと現実のほうに復帰してくるのが、作家というものだということを村上春樹は語っているのです。

引用元:http://www.fukuishimbun.co.jp/nationalnews/EN/calture/809567.html

つまり、彼は「地下二階の地下室」、いわば人間の無意識の世界(もっというとユングの「集合的無意識」的なもの)という超現実的なものを言葉にして小説にしようとしているのだ。

この「地下二階の地下室」は、ほぼすべての村上作品に登場する(もちろん1Q84にも)。 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」などは、この「地下二階の地下室」そのものの話(しかも、主人公は最終的には「あっち側」に行ったまま戻ってこない)という斬新な小説だ。

 

村上春樹作品が荒唐無稽な理由

村上春樹作品では、非現実的な状況が次々に起こる。話す羊が出てきたり、おじいさんが何百キロも離れたところにいる男性を殺したり、壁を通り抜けたり、光るさなぎの中に主人公が少年の頃好きだった女の子が眠っていたり。そこだけとってみればファンタジーに分類されても良さそうなくらいである。

これも、無意識の混沌とした世界を小説のテーマの対象にしていることが理由だろう。その意味ではシュールレアリスムに近い。でも、シュールレアリスムと決定的に異なるところは、無意識の世界と現実の世界との関係や、その関係に意味を見出そうとしているところだ。シュールレアリスムは現実と無意識の世界を区別せずに、それをそのまま描こうとするものだ(私の理解が正確ではないかもしれないが)。しかし、村上春樹は、あくまで「こちら側」から、無意識の世界の誘惑や、その世界からの語りかけ(?)と向き合おうとしているように見える。

 

村上春樹を読もう!

いろいろ言ってきたが、村上春樹なんてミーハーっぽくて嫌だから読んだことないよ、という人がいたら、それは飛んだ濡れ衣なので、ぜひ読んでみてほしい。意外に深いし、難解。意味がわからなくてもお洒落で雰囲気を楽しむだけでも楽しい。特に、処女作「風の歌を聴け」はその心地よい気だるさが、読んだ後になんとも言えない余韻を残してくれる(それでいてよく読み込めばとんでもなく難解で解くべき謎がたくさん詰め込まれている小説だ)。とはいえ、せっかく読むなら村上春樹の強いメッセージを読み取ってほしい。彼は小説を無意味に量産するタイプの作家じゃない。ちゃんと読もうとすればかなり読み応えのある作品ばかりだ。

ノーベル文学賞の発表がいつかは公表されていないけど、13日という説が濃厚。今年こそは・・・?いややっぱり無理だろうな^^;

 

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