10年桜がAKB史上最高の良曲である3つの理由
「10年桜」って??
10年桜、といって、わかる人はもう少ないのではないだろうか。「え、千本桜ならわかるけど?」って?いやそれももう古いか……
10年桜とは、2009年3月に発売された、AKB48のメジャー11曲目のシングルである。なんともう7年以上も前の歌だ。
なぜこのジャケットはみんなアイメイクが不自然に濃いのか。。
AKB48の楽曲で初めて売上10万枚を超えたそうだが、それでもせいぜい10万枚。オリコン週刊チャートでも最高3位、2009年オリコン年間シングルランキングでは54位と、その成績はあまりにも寂しい。
(ちなみに、同年の年間ランキングでは、言い訳Maybeが47位、涙サプライズが39位、RIVERが22位。でも、Perfumeのワンルームディスコ(59位)よりは売れてた。ワンルームディスコもいい曲なのにな~。)
しかし…だ。売上げが微妙でもそれでもなお10年桜は間違いなくAKB48の一番の名曲だと思う。以下その理由を挙げていこう。
理由①:JPOPの真骨頂ともいうべき神的メロディー展開
とにかくこの曲はメロディー展開がすごい。最初から最後まで転調の嵐。そのうえ転調という転調が全部効果的すぎて、井上ヨシマサ(作曲者)あなた天才。
1番 Aメロ("どこかで桜の花びらが"):ハ長調(C)…①
1番 Bメロ(”君と会えたことが”):イ短調(Am)
1番 サビ(”10年後にまた会おう”):ハ短調(Cm)
間奏:ハ短調(Cm)
2番 Aメロ("今まで出会った誰よりも"):ハ長調(C)
2番 Bメロ(”辛いことあっても”):イ短調(Am)
2番 サビ(”10年後にまた会おう”):ハ短調(Cm)
Cメロ("Cherry Blossoms!"):変ホ短調(E♭m)…②
サビ(”10年後にまた会おう”):ハ短調(Cm)
Aメロ("どこかで桜の花びらが"):変ニ長調(D♭)…③
アウトロ("10年後にまた会おう!"):嬰ハ短調(C♯m)
① アップテンポながら短調のサビ
ポップなAメロ→ちょっと落ち着いたBメロ→サビで盛り上がる、というスタンダードな流れなんだけど、盛り上がりのサビが短調なのでどこか物悲しい。
この曲のテーマは「卒業」。全体的には明るい調子なんだけど、卒業=別れのもの悲しさが短調によってよく出ています。
しかも、歌詞の内容が調とリンクしてるんだなあ、、、
<Aメロ:ハ長調>
どこかで桜の花びらが はらりと風に舞うように
誰にも羽ばたく時が来て 一人きりで歩き出すんだ
明るい将来のこと。
<Bメロ:イ短調>
君と会えたことが 過ぎた季節の意味
その笑顔が眩しかった
一緒に行けないけど そんなに泣かないで
僕は忘れない
過去の輝かしい思い出。それと対比すると、これからの別れがちょっと寂しい。
<サビ:ハ短調>
10年後に また会おう この場所で待ってるよ
今よりももっと輝いて・・・
卒業はプロセスさ 再会の誓い
すぐに燃え尽きる恋より ずっと愛しい君でいて
今よりももっと輝いてるはずの10年後にまた会おうという約束。それはすなわちこれから10年会えないということでもある。
② 鳥肌の立つCメロ
”Cheery Blossom~ なんど咲いても~ きょーうーという日を忘れはしない~~~!”
このCメロの圧倒的感と意外性。聴いた瞬間、「これはやられた!」ってなる。
とにかく聴いてくれ!まじで!
③ 大サビならぬ大Aメロという斬新さ
普通は、Aメロ→Bメロ→サビ→(2番で繰り返し)→Cメロ→サビ→大サビよね。ミスチルの終わりなき旅とかTomorrow Never Knowsとかがわかりやすい。
しかし、10年桜の場合、Cメロ→サビ、までは同じなんだけど、からの、大Aメロ。大Aメロとか、そんな手法あるの?ヨシマサのファンですもう。
理由②:メンバーが可愛すぎる
とにかく、PVを一回みてほしい。みんなマジで可愛いから……!
こじはる、小野恵令奈、 篠田麻里子、板野友美、前田敦子、大島優子、宮澤佐江、まゆゆetc...うわあああああみんなかわいいです。
理由③:PVが謎解き~都市伝説的ミステリー
10年桜のPVは、一見カラフルでかわいいPVなのですが、ちょっと怖い(?)裏設定があります。
(以下ネタバレなので読みたくない方は省略してください。)
PVの解釈にも諸説ありますが、もう相当語り尽くされた感があり、おそらくほぼ定説となっているのが、以下の解釈です。詳しい分析はいろんなブログで語られているので、それぞれ納得できる解釈を見つけてください。
高校のクラスメートだった前田敦子と大島優子が、卒業の10年後に再会するところからPVが始まる。2人は、卒業前の思い出を回想する。
回想シーンは、卒業パーティの準備シーンと、卒業旅行のシーンが入り乱れて流れる。
しかし、卒業旅行の途中でバスが転落事故に会い、クラスのほぼ全員が亡くなってしまったことが明らかになる。
大騒ぎのあとのこの静けさが皆が死を受け入れたことを表しているといわれています。
死を受け入れたあと、バス停もない草原に、メンバーが次々とバスを降りていきます。バスを降りる=この世に戻れなかった=亡くなった、と解釈されています。
また、旅行にいっしょに行けなかったたかみなも、卒業間際に何らかの理由で(おそらく病気で?)亡くなった(下の画像はたかみながバスを降りるシーン)。転落事故で唯一生き残ったのが前田敦子と大島優子だった。
ちなみに、最後のシーンの大島優子と前田敦子の会話については、前田敦子がこれから死にに行こうとしているとか、諸説ありますが、個人的には納得がいくものがまだ見つかっていません。
転落事故の瞬間は、2番のサビの直前「僕はがんばれる~Wow~」のところです。何度もPVを見すぎたせいで、この部分を聴くといつも、この車が脱線して、崖から落ちて、星が(血で)赤くなる(=事故を表現)シーンを思い出してしまうのですよねT_T
でもね、このPV、直接的には転落事故の悲しい物語になってしまっているけど、「卒業=死=生まれ変わって新たに出発する」というポジティブなメッセージの暗喩だと思うのです。だから、10年桜のPV怖いっていうのは、ちょっと違うかなと思います。
そのメッセージ性は、10年桜PVの監督・高橋栄樹のコメント(2009年12月の『Quick Japan』Vol.87)にも表れています。
『10年桜』のPVは、『桜の花びらたち2008』で感じた「卒業」や「桜」に一種の死生観が出てる気がする。入学とは誕生で、卒業とは死。もちろんその死は、次のステージでの「誕生」を意味する再生でもある。学校って、生と死のサイクルを擬似的に体験する場所なんじゃないか、っていうね。あのPVってどこか夢っぽいし、あの世っぽい。10年後の前田と大島が思い出してる、夢の中の学校やバス。だから学校も装飾過多でサイケデリックだし、スクールバスも「なんでこんなところで?」って思うような何も無い所で降りてもOKになる。大島の妊婦姿も誕生の象徴だし…
耳でも目でも頭でも楽しい10年桜、まじで今更ですが、JPOPの名曲中の名曲です。