時には昔の話をしようかー「秒速5センチメートル」の良さがわからない女子、その気持ちがわからない男子。
なぜか男ウケがはんぱない「秒速5センチメートル」
新海誠監督の 「君の名は。」の大ヒットで、同監督の作品であるショートムービー「秒速5センチメートル」も一躍有名になりました。
この「秒速5センチメートル」、女性より男性に評判がいいんですよね。私の周りでもやたらと「秒速5センチメートル」を推すメンズが多いです。
他方で、私(女)は、正直「???(すごいすすめられたから観たけど、映像がきれいなところ以外どこがよかったんだ?)」という感じでした。
その後、「秒速5センチメートル」の感想ブログなどを読んで、なぜこの感想の違いが生じたのかがわかりました。ヒントは、
「女は『上書き保存』、男は『新規作成』で『名前を付けて保存』。」
という、もはや使い古された感のあるフレーズにあります。
男性視点「これ完全にオレだわ(´;ω;`)ブワッ」
(以下若干ネタバレになります)
主人公の貴樹は、小学校の同級生、明里ちゃんと出会います。2人はとても仲良くなりますが、中学校に進学する際引っ越しで離ればなれになります。しかし、その後も、文通でほそぼそとやり取りをして心を通わせていました。
中学一年のある冬の日、貴樹は何時間も電車を乗り継いで、明里ちゃんに会いに行きます。そこで、突如、お互い「運命の人」だと直感するのです。
しかし、貴樹と明里ちゃんは、相手を他に代えがたい唯一無二の運命の人だと直感しつつも、お互いに想いを伝えられないままにその場をあとにします。そして、この「運命の日」を境に、連絡が次第に途絶えてしまいます。
貴樹は、この日から、自分でもわからない「何か」を求めてさまよい続けているような感覚で生き続けることになります。
というか、貴樹が求めている「何か」とは明らかに明里ちゃんなのですが、どういうわけか彼はそれに気づかず、ずっとなにかが足りないような気がしながら中学を卒業し、高校、大学と進学し、社会人になります。
貴樹はそれなりにイケメンでもあり、明里ちゃんを失ったせいでいつも人と距離を置き、切なそうにしているミステリアス青年なので、高校生のときは貴樹を好きで好きでしょうがない可愛い女の子(花苗ちゃん)が現れ、社会人になってもちょうどよさそうな女性(水野さん)と付き合うのですが、どの女性も、彼が求めているのが「自分」ではないことに気づき、貴樹から離れていきます。
結局、貴樹にとっては、明里ちゃんしかありえなかったのです。明里ちゃん以外の人には、彼の心の穴を埋めることは決してできない。少なくとも、貴樹自身はそう思っています。
でも、貴樹は、それに20代後半になるまで、自分が求めているのが明里ちゃんであることに気づけなかった。それまで、幾度も明里ちゃんを取り戻そうと思えばできたのに、それをしなかった。
気づいたときには、明里ちゃんの連絡先もなにも知らない。でも、彼女はきっとどこかで幸せに暮らしているだろう。自分の知らない大切な人もいるだろう。だから貴樹くんは、いまさら明里ちゃんを求めようとせず、あきらめます。実際に明里ちゃんは、ほかのだれかと結婚しようとしていて、貴樹の関係のないところで幸せになろうとしていた。もう明里ちゃんは取り戻せないのです。時すでに遅し。
おしまい。
これに、男性は、「コレ完全にオレだわ」と思ってしまうらしいのです。
彼らには、いままで何人と付き合ってきたとしても、いま彼女や奥さんや子供がいてどんなに幸せであるとしても、自分にとって「特別」な女性がいるのでしょう。
そして、その特別な女性は、ほかのだれにも、もちろんいまの彼女や奥さんにも代替できる存在ではなくて、本当に特別な存在。
もちろん、いまは幸せ。いまの彼女や奥さん、家族のことは愛していて、その気持ちも本当である。だけど、もし、あの女性と結ばれていたら。なんて、たまに考えることはないでもない。
こういう状況が、貴樹の気持ちとシンクロするのですね。
この「これ完全にオレだわ」現象、太宰治の『人間失格』と同じ現象ですね。
「秒速5センチメートル」の貴樹くんとと驚くほどよく似た男性が登場する小説があります。
「国境の南、太陽の西」の主人公・始(はじめ)は、小学生のとき、同級生の島本さんと出会います。2人は、小学生ながらなんとなく相通じるものを感じ、仲良くなります。放課後は毎日、島本さんの家で一緒にレコードを聴き語り合う。始と島本さんは、互いに最高にして唯一の理解者でした。
しかし、中学生になると、始は同世代の女の子の自宅に訪れることになんとなく気まずさを感じるようになり、島本さんの家から足が遠のいていき、ほどなく会うことも連絡を取り合うこともなくなります。
しかし、その後、始は、島本さんがいない人生にとんでもなく大きな欠落を感じながら生きていくことになります。
島本さんと音信不通になったあとも、何人もの女性と出会い、恋愛めいたことをし、結婚もしますが、島本さん以外の女性のいずれにも「自分のために用意されたなにか」を見つけることができなかったのです。
ここまで、ほぼ「秒速5センチメートル」と同じですね。
「国境の南、太陽の西」での主人公・始の語りは、まさに「秒速5センチメートル」の貴樹の気持ちそのものといっていいと思います。
「国境の南、太陽の西」に「秒速5センチメートル」をむりやりあてはめるとしたら、貴樹が始、明里ちゃんは島本さん、花苗ちゃんはイズミ、水野さんは久美子(始の妻)、といったところでしょうか。
しかし、「秒速5センチメートル」と大きく違うのは、始が自分の空虚感を埋めるべく周りの女性を次々に傷つけていったことです。貴樹は花苗ちゃんや水野さんを傷つけるようなことは決してしませんでしたが、始はイズミも奥さんをも深く傷つけてしまいます。
もっとも、始の島本さんを求める気持ちというのが「国境の南、太陽の西」のメインテーマでもないので、村上春樹の話はこのへんにしておきます。
女子の視点「中二病・マスターベーション映画」(ファンの方すみません)
私の感想が女子全般の感想として一般化できるかは不明ですが、一女子の感想としてお読みください。
全体的にポエムで綴られるストーリー
ハッキリ言って、私が「秒速5センチメートル」を観ている最中の感想は、「完全に中二病まるだしのポエム映画」でした。
作中では、貴樹の心のポエムが炸裂します。
その瞬間、永遠とか、心とか、魂とかいうものがどこにあるのか分かった気がした。(「桜花抄」 by 中学生の貴樹)
僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、どうしようもなく横たわっていた。でも、僕をとらえたその不安は、やがて緩やかに溶けていき、あとには、明里の柔らかな唇だけが残っていた。……あのキスの前と後とでは、世界のなにもかもが変わってしまったような気がした……(「桜花抄」 by 中学生の貴樹)
ただ生活をしているだけで、悲しみがすごくここに積もる、日に干したシーツにも、洗面所の歯ブラシにも、携帯電話の履歴にも。(「秒速5センチメートル」 by 大人の貴樹)
この数年間、とにかく前に進みたくて、届かないものに手を触れたくて、それが具体的に何を指すのか…も分からずに、僕はただ働き続け…た。そして、ある朝、かつて、あれほどまでに真剣で切実だった思いがきれいに失われていることに…気づ(い)た時、会社を辞めた。(「秒速5センチメートル」 by 大人の貴樹)
さらに、高校生のときは、誰に送るでもない自分の気持ちを綴ったメールを意味ありげに書きつづけます。
というか、宛名のないメールを崩れるほど書くくらいだったら、ぜひBUMP OF CHICKENの『天体観測』を使ってほしかったなあ。歌詞的には第2話「コスモナウト」にはぴったりの内容なのに。
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こういった心のポエムとか、喪失感とかが、男性には超響くみたいなんですよね。繰り返しになりますが「めっちゃわかる!てか俺だ!」ってなるらしい。
でも、女子から見れば、次から次へと繰り出される主人公のポエムは痛すぎて唖然とするレベルですし、宛名のないメールを書き続けるあたりも、思春期特有の「俺くらい深い悲しみや喪失感をもっているやつなんかいないだろう」「俺はほかのやつらとは違うぜ」みたいな雰囲気があってイタいなあと思ってしまう。そもそも第1話の題名である「桜花抄」、第2話の題名である「コスモナウト」とかいうネーミングも中二病っぽいし。
おそらく、女性はより現実主義者なんでしょうね。
過去の恋愛を「上書き保存」は言い過ぎかもしれないけど(実際元カレのことはきれいさっぱり忘れてしまう人も一部にはいますが)、「本当はあの人のことが一番好きだったんだけど、『もしも』なんてあり得ないのだからしょうがないよね。」「今はいまで幸せなんだから、これが私の来るべき道だったんだと思おう。」などと、現実に心をフィットさせようというマインドが強い気がします。
あと、お子さんをお持ちの方は、子供に対する責任感の強さも一つの要因としてあるかもしれない。
実際、「秒速5センチメートル」の作中でも、貴樹はずっとずっと明里ちゃんのことを思い続けているのに対し、明里ちゃんは(貴樹のことを忘れてはいないでしょうが)そこまで悩まずにほかの人と結婚しようとしています。
挿入歌「One more time, One more change」とのコラボについて
「秒速5センチメートル」では、かの有名な山崎まさよしの名曲「One more time, One more chance」が使用されています。
ネットでは、ストーリーとこの曲の歌詞のシンクロ具合がはんぱねええええええええと絶賛の嵐なのですが、個人的には、「いや、この曲使うのマジでやめてくれよ」と思いました。
一つには、私が「秒速5センチメートル」に感情移入できなかったために、本気のラブソングであるこの曲を流されたことで、「そんなシリアスな話じゃねーだろ」とイラッとしてしまったということがあります。でもこれはごく少数派の意見であることはわかっているのでまあいいです。
一番私が気に入らなかったのは、サビの「こんなとこにいるはずもないのに」の部分で「こ」「ん」「な」「と」「こ」「に」「い」「る」「は」「ず」「も」「な」「い」「の」「に」と一文字一文字のリズムににあわせてカットが変わるところです。
そんな細かいところいーじゃん、って思われる方が大半だと思いますが、あのカット割りには本気で萎えました。そんなリズムに合わせる必要ないのよ、綺麗で切ない絵をただいれてくれればいいのよ、と言いたい。
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いろいろディスったけど、ラストはとてもよかった
観覧中何度も萎えてくじけそうになりながら、最後まで観たのは、「(『君の名は。』と違って)ラストがとてもいい。」という評判を聞いていたからです。私もラストには満足しました。
映画のラストで、貴樹は、自分が心から欲していたのは明里ちゃんだったということに気付きます。そして、そのようなとき、偶然にも婚約者と同居をはじめるため東京に出てきていた明里ちゃんとフミキリですれ違います。
このフミキリのシーンは、彼らが小学生で心が通い合っていたころのある場面にシンクロしています。一緒に下校途中の2人でしたが、貴樹が先にフミキリを渡ってしまい、明里ちゃんは渡り損ねてしまう、という場面がありました。このときは、貴樹くんは対岸で明里ちゃんを待っていて、電車が過ぎたあと2人はフミキリをはさんでお互い見つめあいます。
さて、大人になった二人。貴樹がいまだに「自分のために用意されたなにか」をもっている唯一の人と感じている明里ちゃん。彼らはフミキリですれ違い、渡り終え、十何年前と同じように、彼らの間を電車が通過します。
そして、貴樹は、十何年前と同じように、振り返ります。
さて、対岸にいる明里ちゃんは振り返ったでしょうか?
電車が通り過ぎた後、そこには明里ちゃんの姿はありませんでした。
(以下貴樹の心の声)俺はずっと、彼女がいないことに喪失感を感じながら生きてきた。
彼女がいない喪失感を埋めたくて、高校では部活と勉強に打ち込み、大学に入っても心から親しくなれる人はいなくて、社会に出てからも仕事をがむしゃらにやった。
でも、気づいたんだ。俺が求めていたのは彼女だった。それに気づいて、仕事をやめた。そして今、この東京の真ん中で、なぜか彼女とすれちがったような気がしたんだ。なのに、
「運命の人」だと思い続けていたのは俺だけだったのか?
かなしい。せつない。
でも、現実ってそんなものですよね。かなしいことやせつないことがあるからこそ、人生はドラマなのです。傷ついた過去があるからこそ、人の痛みも理解できるし、こういった映画でも泣ける。
以前「君の名は。」のラストを酷評しましたが、この意味では「君の名は。」は「秒速5センチメートル」より後退してしまったと思います。
だれしも心に「明里ちゃん」がいる
男性がみな「秒速5センチメートル」に涙するわけではないし、
女性がみな「秒速5センチメートル」を理解不能と思うわけでもないと思います。
さはさりながら、多かれ少なかれ、だれもが貴樹にとっての明里ちゃんのような想い出や存在をもっていると思います。かけがえのない、決して忘れられない存在、でも、もう絶対に取り戻せないもの。それは、ある人にとっては特定の人かもしれないし、ある人にとってはモノや風景や出来事かもしれません。
たまには、そういう自分の原点のような記憶を思い出してみるのもよいのではないでしょうか。