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マイにち×○ざんマイ

20代後半の○○○が、仕事とは無関係のことを毎日きまぐれに書いていきます。短いは正義が鉄則、のはずがたまに長くなる。

「受動的ビッチ」についての解説をまじめにするよ!【クズの本懐】【牧場の主】

書籍・マンガ 男と女 サブカル Lifestyle

「受動的ビッチ」とは

 

「受動的ビッチ」という種類の人間がいます。

 

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注・佐野ひなこが可愛くてこんな子がビッチだったらいいな(変態麦目線の妄想)とちょっと思ってしまっただけで、佐野ひなこがビッチという意図はみじんもありません。ご容赦ください。

 

現実の世界では自ら「私が受動的ビッチです」などという人はいないと思うので、そんな人周りにいないよと思うかもしれません。

 

それならば二次元の人物で説明しましょう。たとえば、クズの本懐』の主人公・花火(ただし一応まだ処女なので受動的ビッチ予備軍)であり、東京アリス』の(翡山にハマる前の)円城寺。

 

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 滲み出るビッチ臭

 

そして、「受動的ビッチ」は、三次元(現実世界)にもたしかに存在します。私の周辺にもいます。

今日は、そんな「受動的ビッチ」の正しい解説をまじめにしたいと思います。

 

 

受動的ビッチが抱える4つの矛盾

 

受動的ビッチは、4つの矛盾を抱えています。

 

4つも 矛盾を抱えているなんて女性って複雑。。とお思いになるかもしれませんが、なんというか、非常に薄っぺらい矛盾なのですが。

 

 

① 他人から向けられる好意はなんとキモチワルイ。でも、同時に、キモチイイ。

 

受動的ビッチは、モテます。だけど、他人に興味がありません。

彼女らは、たくさんの男から好意を向けられますが、興味がない男から好かれても、「キモい」だけなのです。

 

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その正直すぎる表現ゆえにかなり有名になった一言。花火が「受動的ビッチ」として開眼する前のことです。 

 

彼女らは、表面上ニコニコしてデートにつきあいますが、

「こいつほんとキモい。自分の顔、鏡でみたことあんのかな~」

「あーほんと話つまんない。これ(食事)はさすがにおごってくれると思うけど、この時間、ごはん代でもペイするかね。時間の無駄。早く終わらないかな。

などと思っています。

 

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あざとさMAX。 出典:http://googirl.jp/renai/1506date265/

 

しかし、人間、ちやほやされるのは悪くないと思うもの。受動的ビッチとて例外ではありません。

彼女も、なんだかんだで男が寄ってくることについては気を良くしてしまいます。

 

 

② 自分の「モテ」を自覚している。しかし同時に、モテに快感を覚える自分を見下している。

 

受動的ビッチは、自分がモテることを知っています。つまり、自分が異性にとって魅力的であることを知っているのです。

 

そして、すでに述べたとおり、いろいろな人がちやほやしてくるのを心地いいとも思っています。

 

しかし、同時に、男が寄ってくるのを快感に思う自分を、「くだらない」「浅はかだ」とも思っています。ここが能動的ビッチと違うところ。

ほとんどの男は、私の人格とか人柄とか能力とかをみているわけではない。単に私の容姿とか表面的なものを気に入って「女」としてやさしくしてくるだけなのだ。それはわかっている。それなのに、どうしてもそれが心地いい。いい気になってしまう。そんな自分が、本当に浅はかだ、と。

 

ちなみに積極的ビッチは他人の好意を罪悪感なく「キモチイイ」と思うようです。

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クズの本懐』に登場する天性の男好き、茜。こんな人いるのか…?

 

 

③ 他人に興味がない。だけど、他人に拒否されるのは恐い。

 

受動的ビッチは、他人にそんなに興味がありません。

 

だけど、「他人には別に嫌われたっていい」というほど強い心の持ち主でもありません。

これが「受動的」たるゆえん。

 

よく、「自分に自信がある『から』自分から積極的にアタックできる」、「自分に自信がない『から』アタックできない」みたいなことを言われると思うんですが、自信があるかどうかと、恋愛に積極的かどうかってあんまり関係ない気がするんですよね。ここに「受動的ビッチ」に関する誤解がちとあると思うのです。

たとえば、『クズの本懐』における、受動的ビッチの説明の部分。

 

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ようするに、 受動的ビッチ=自分に自信がないから男と付き合って求められたいと思う、と説明だと思うのですが、それはちょっと違うと思うのです。すでに述べたとおり、受動的ビッチは、自分がモテることに自覚的です。自分に自信がないわけではありません。むしろ、どちらかというと自信があります。

 

 

恋愛にかんして積極的になれるかどうかは、「なにかしたい」「なにかほしい」という衝動(告白という行動につながる衝動)よりも、「拒絶されて傷つきたくない」っていう気持ちのほうが強いかどうかによって決まるのだと思います。

 

積極的に行ける人は、「なにもしなければ好きな人は絶対に手に入らない。アタックすれば手に入る可能性はゼロじゃない。当たって砕けて失敗しても、彼/彼女が手に入らないだけなのだから、何もしなかったのと同じ結果なだけ。」と考えることができます。た、たしかに。正しいです。反論できない。

 

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しかし、当たって砕けるという決断をするのがどれだけ難しいことか。

アタックしてもし拒否されたら?当然傷つきます。傷つくのはつらい。それが好きな人だったなら、なおさらつらい。そんなつらい思いしたくない。

 

 

さらに面倒なことに、受動的ビッチは、興味がない人から好かれることが「キモイ」ことをよく知っています。いつも自分が思っていることだから。

しかも、興味がない人からどんなにアタックされたところで、気持ちが動くことはないことも、自分自身が普段興味がない人からアタックされまくっているので、身をもって理解しています。

 

だから、好きな人がいても、彼が自分に興味がないことがわかっているなら、自分からアプローチすることはない。気持ち悪いと思われたくない。おまえなんか好きになるわけないじゃん、と失笑されたくない。

 

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受動的ビッチは恋に恋しがち

 

その代わり、彼女は、頼んでもいないのに好いてくる男の相手をするのです。彼らは、「彼らが求める私」を演じさえすれば、決して拒否することはないので。

 

 

 

④ 特別男好きというわけじゃない。だけどみんなにやさしくする。なのに男を選り好みする。

 

受動的ビッチは、特別男好きというわけではありません(男好きなら能動的ビッチになってるはず)。

 

しかし彼女は、自分自身他人から拒否されることを心底おそれているので、自分の好意を拒否された人がひどく辛い思いをするだろうということが想像できます。

それゆえ、彼女は、全く興味がない人に対してもあからさまに拒否したりはしません。たとえ心では「キモイ。ウザい。」と思っていても、優しく接します。言い換えれば、誰に対しても媚びを売る。

彼女がいようがいまいがすべての女性にやさしい男性っていますよね。あれと一緒なのではないでしょうか。

 

他方で、一定の関係以上になる男については、選り好みします。誰にも心底興味があるわけではないのに。

 

 

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クズの本懐』の花火も、麦がイケメンで成績優秀じゃなくて、ブサイクのアホだったら付き合わ(付き合うふりをし)なかったでしょう。

 

それは、誰に対しても媚びを売ってしまう、軽蔑すべき自分への、せめてもの弁解です。

私は寄ってきた男と右から順に寝ていくヤリマンではない。付き合う男は選択しているのよ、と。

 

 

 

受動的ビッチは「牧場の主」であるべきで「他人の牧場の牛」になってはいけない

 

冒頭でも述べましたが、『東京アリス』という漫画では、円城寺という女の子が典型的な「受動的ビッチ」で、周りの男と気の向くままに遊んでいます。

 

円城寺は、なんとそれを「私の牧場」と呼び、自分が遊んでいる男たちを「牧場の牛」にたとえます。

 

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 『東京アリス』に限らず、女性向け漫画は表現や比喩がなんかスゴイというか、女性独特ですよね(笑)

 

うーん、言い得て妙。牧場の牛はいつもは放し飼いにしていて、気が向いたときに気が向いた牛を呼び寄せる。牧場に入れるときはセレクトするけど、去ろうとする牛は追わない。という感じでしょうか。なんかっていうのもやさしそうというか、ちゃんとわかってて柵の中にいますよ、っていう感じするよね。ビッチも男のやさしさに甘えてる自覚はあるということかな。

 

円城寺が「牧場の主」タイプならば、「牧場の牛」タイプは、男に体よく利用されてしまうけど、それでも私にはこの人しかいないの、と尽くしてしまう、そうひとことでいえばだめんずうぉーかーです。DV男を許してしまいがちな女性です。

 

そんな「牧場の主」だった円城寺は、翡山というワルイ男に出会い、遊ばれているだけだと頭でわかりながら、翡山にどんどんハマっていってしまいます。そう、今度は逆に、自分が他人の「牧場の牛」になっていってしまうのです。

 

f:id:nounai888:20170205233943j:plain円城寺と翡山。いかにもクズそうな男…

 

ところで、円城寺の友人・理央も、円城寺と同じく「牧場の主」タイプ。他方、2人の共通の友人・みずほは逆に「牧場の牛」タイプ。円城寺が翡山にだんだんハマりつつあるとき、円城寺の変化に気付いた理央が、円城寺に言ったことば(手元に同作がなく、正確ではないと思いますが、すみません。)が秀逸。

 

「あんたは『牧場の牛』になっちゃだめよ。あんたは、みずほみたいに強くないんだからね!」

 

たしかに、「牧場の牛」は強くないとなれませんね。相手には自分以外の女もいるとわかっていてもなお付き合えるのですから。

 

最後に

こんな物知り顔で受動的ビッチの解説をしてる私まじでなんなんだ、とはじめ3分の1くらい書いたところですでに思いましたが、『クズの本懐』けっこう好きなので宣伝ついでだと思って書きました。

 

みなさん、それぞれつらいこともあると思いますが…いい恋愛しようね!!

 

 

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