マイにち×○ざんマイ

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後悔しない選択を。

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物事を素早く潔く決められるタイプといつまでもうだうだ迷っているタイプに人間を分けるとしたら、私は間違いなく後者であった。10代の頃から散々迷っていた私は、あらゆる選択や決定の場面で適用できる絶対的な基準が欲しいと思っていた。

 

そんな私も四半世紀以上生きてきて、いくつかの物事の決定基準とでもいうか、行動哲学(堅苦しい言葉で言えば)を持つようになった。

 

その一つが「後悔しない選択を」だ。

これはもともと母の言葉である。何かにつけて迷っている私に、母はよくこの言葉を言った。

 

昨今の後悔というワードの嫌われようといったらない。後悔ほどダサい・格好悪いと思われている行動はないのではないかと思うくらいである。「後悔はしない。反省だけする。」なんて言葉も生まれる始末だ。

私もご多分に漏れず後悔という行動どころかその言葉自体を毛嫌いしており、最初母に言われたときには「いやどんな選択をしても後悔なんてしねーし」と言って拒絶反応を起こしそうになった。

 

しかしよくよく考えてみると、非常にわかりやすくて使いやすい基準だと思った。

これを選択基準の一つにしてからは、明日死んでも心残りがないように行動するようになった。くだらないことで喧嘩したらすぐに素直に謝るようになったし、ちょっとした休みが取れたら地方に住んでいる高齢の祖父母に会いに行くようになったし、あおぞらが綺麗なことに気づいたら忙しくても時間をかけて目に焼き付けておくようになったし、見知らぬ人が困っていたらありがた迷惑かもしれないと思っても躊躇なくお手伝いしましょうかと申し出るようになった。

とはいえ、私たちが選択や決定をしなくてはならない場面はこんなに単純なものばかりではない。大きな問題になればなるほど、様々な可能性が考えられる。複数の成功パターンと複数の失敗パターンがある。それぞれの確率を出そうとしてみるけれど、たいていは正確な確率は出ない。成功すれば一番魅力的な選択肢が、失敗したら許容できないほどのダメージを生じさせるかもしれないこともあるし、少なからぬコストをかければ成功確率を上げられるかもしれないが確証がないことだってある。

そういうときも、どう選択すれば後悔しないか考えてみる。手元に集めたあらゆる情報を踏まえて、想定される失敗リスクを冒してまでその選択に懸ける覚悟があるのか、正直で飾らない気持ちを自分に聞いてみる。要するに、仮に失敗したとしても、この選択をしてよかったと言えるか。

 

決定するにあたって集めるデータはあくまで客観的な情報なのに、最終的な決定はこの選択でよかったと思えるかという感情的なものであるというのは、自分のことながら可笑しい。

でも最近、究極的には人は感情で物事を決めているのではないかと思うことがある。結論が自分にとって心地よいか(ないし受け入れられるか)どうかという結論先にありきで、論理的整合的な理由を後から付けているのではないかと。