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電通若手女性社員の過労死問題って結局なんだったのかというとだね

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電通の24歳の女性社員が過労自殺した問題。

彼女が実際にどんな環境にあり、どんなことを思い、どんな風に苦しんだのか、本当のところは私にはわかる由も無い。だから、タイトルのようにわかったようなことはかけない。

 

だけど、彼女のいる業界は私のいる業界とは違うけれど、ある意味でとてもよく似た環境にあるのではないかと思う。

① 社内では、「仕事がある限り際限なく働く」ことが「普通」「当然」と考えられていること。そして、

② その働き方ができない人は会社から出て行け、と考えられていること。

 

総合職か一般職か。総合職なら残業は当然という極端な二元論

なんだか、日本では、定時に上がりたいなら給料安くなるよ、逆に稼ぎたいなら残業を拒否するなんて絶対に言語道断(特に若手に対してはそう)、という極端な二元論であるような気がする。

私も、電通の彼女と同じくらいの年齢の時はそのように考えていた。だって、周りがみんなそう考えていたから。だから、朝5時から夜1時まで働き、土日もほぼ毎日出勤し、飲みに行った日だって仕事があれば家に帰って仕事の続き、みたいな働き方をしていても、それほど疑問に思わなかった。もちろん、仕事のせいでデートに遅れたり、友達とのご飯を断らなくてはならなかったり、休日の家族との約束をねぶっちしてしまったりして、仕事に自分の時間のほとんどが侵食されていることがいやになることもあった。それでも、これだけ給料をもらっているのだから仕方ない、働くというのは結局時間の切り売りをすることなのだ、と思って働き続けていた。

 

もちろん、そんな極端な働き方に耐えられない人は続出する。そういう人は、会社を辞めることになる。

彼らに対して、特に能力ある人に対しては、会社は一応慰留する。だけど、最終的には「働き方のスタンスの問題だから仕方ないね」ということになる。「この業界で働くって、そういうこと」というわけだ。要するに、24時間働けますか?働けないなら別の会社行くしかないよね、ということだ。まあ電通がどうなのかわからないけど、少なくとも部署単位ではこういう雰囲気だった可能性は高いんじゃないだろうかと思う。

 

まったく日本は地獄のミサワだらけである。

そうやってスタンスの問題にされてしまうと、しょうがないのかな、という気もしてくる。ライフワークバランスって人それぞれだからね、人生観の問題だから、周りがとやかく言うことではない、と。

それは確かにそのとおりだ。でも、問題なのは、「定時に上がれるけれど、事務的な仕事だけで給料も安い」か、「仕事の内容はエキサイティングで給料もそこそこだけど、残業しないといけない」という二択しかなくて、「ちゃんと働くけど、早く帰る」っていうマトモな働き方のできる環境がほとんどないんじゃないだろうか、ということだ。

 

「ちゃんと働くけど、早く帰る」なんて、そんなことできるの?って思うかもしれない。

私が言いたいのは、働かないでお金をもらいたい、ということではない。それなりの報酬をもらうためには、それだけの価値のある仕事をしなくてはならないし、時にはコアタイム以外の時間にも働くことが要求される。それは当然だ。労働の対価をもらうということ、責任をもって働くということは、そういうことだからだ。

とはいえ、必要がなければ会社に残る必要はないし、家でできる仕事ならさっさと家に帰ってご飯を食べてちょっと団らんしてから寝る前にすればいい。

だけど、日本ではそれがやりにくい空気がある。部下の席に夜10時に電話したけどいなければ「おいおい。上司の俺は残ってるのになんであいつはいねーんだ(怒)」となるし、夜7時に帰ろうとすると「え、もう帰るの?最近落ち着いてるんだね~(=暇なの君?)」と言われる。「仕事はちゃんとします。でも必要以上には残りません。」と堂々と言える雰囲気がない。むしろ、早く帰るやつは、仕事がない=仕事ができないと思われてしまう空気すらある。

 

以前「俺実質1時間しか寝てねーからな~」「今日4時間も寝ちゃったよー!」などと寝てないアピールをしやがる1コマ漫画が流行った。あれはギャグだけど、ああいう、「働けば働くほどえらい」「寝てなければ寝てないほどかっこいい」という価値観がいまだ実際にはびこっているのだ。。恐ろしい。

 

シリコンバレーで出会った、マトモな働き方ができる環境

しかし、その「早く帰ってはいけない」雰囲気が「当たり前」ではないかもしれないと感じたのは、アメリカは西海岸、シリコンバレーの人たちと知り合うようになってからだ。

IT企業が割拠するシリコンバレーには、ITエンジニアがたくさん働いている。年収数千万円を稼ぐ彼らは超優秀だ。年収相当のバリューを出しているはずだし、忙しいときは家でも仕事をしている。定期的な評価の対象にされ、結果を出さないと会社から放り出されるという厳しい環境にもいる。

しかしその一方で、彼らは基本的には午後5時には退社する。週末は趣味に、家族のアクティビティに明け暮れる。旦那は夜遅くまで会社で働いて、平日見る娘の顔は寝顔だけ、休日は疲れ切ってほぼ寝ておりなかなか家族との時間を過ごすことができない、でもいいんだ、俺は一家の大黒柱だから、俺が働いてこそ家族が快適に暮らせるんだ、、という悲壮な日本のステレオタイプの働き者とは全然違う。

  

そして、大事なのは、仕事は仕事でちゃんとやるけど、プライベートもきっちり楽しむ、という価値観がみんなに認識され、認められていることだ。

こういう雰囲気は日本にはなかなかないので、新鮮に感じた。喜ばしいことに日本でもそういうスタンスの人は増えてきてはいるけど、「彼(彼女)はそういう考え方の人だから」といって、特別視されるようなことが多い気がする。

でも、仕事はちゃんとやっているけどさっさと帰る人のほうが、仕事早くてかっこいいじゃん、と思うのは私だけではないはずだ。

 

「どう働くか」についての考え方のギャップから生まれる悲劇 

もちろん、働くのが好きで好きで、可能な限りすべての時間と労力を捧げても働きたい!という人もいる。その考え方自体を否定はしない。むしろ、働くことが生きていくうえでほぼ不可避である以上、そういう考え方のできる人は超うらやましい。

でも、残念ながらそういう人ばかりじゃない。「すべてをささげて働くべき」という考え方のAさんと「きちんと働くつもりはあるけどすべてをささげるつもりはない」という考え方のBさんが一緒に働くと、必ずうまくいかない。Aさんは「なんでBは怠けてるの?」といらいらするし、Bさんは「残業してまで急ぐ状況では全くないのに、なんでAは自分のやり方を押し付けてくるの?」といらいらする。しかも、地位に差があったら、たとえばAがBの上司だったら、さらなる悲劇が起こる。BはAから過度の要求をされていると感じるが、反論できず従うしかなく、ストレスが溜まっていく。肉体的にも精神的にも削られていく。そうやって会社を辞めていった人を、私は何人も知っている。そしてその一番最悪の結末が電通の事件である。

 

「仕事」にどう向き合うかは千差万別だ。そして、そのいずれも正しいとか正しくないとかいう性質のものではなく、それぞれの選択の問題である。ほぼすべての人にとって働くことが不可避である以上、働き方についての考え方が違うのは、政治や社会問題についての考え方がそれぞれ異なるのと同じように、どうしようもないことなのだろう。そして、上記のように、働き方についての考え方が違いすぎる人が一緒に働くと、最悪の場合は悲劇が起こりかねない。そう考えると、働き方についてのスタンスが似たような人が共に働くというのが、みんなにとってハッピーなあり方で、その意味では、日本における総合職/一般職という職位で労働条件をきっちり分けるというのは、ある意味では合理的なシステムだったのかもしれない。

 

でも、これまで述べてきたとおり、日本の主流の考え方は、めっちゃ働くかそこそこしか働かないかの極端な考え方しかない。もっと合理的に、賢く働いたほうが人生楽しいでしょ。そう思って日本を飛び出した優秀な若者を、私は何人も知っている。

 

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