「飛べない豚はただの豚」は、間違いだった。
「飛べない豚はただの豚」?
「飛べない豚はただの豚」。いまでもよく使われることばです。
これをもじって、「●●できない豚はただの豚」「●●できないデブはただのデブ」などともいわれたりします。
このことば、個人的には、かなりえげつないことばだなあと思っていました。
「それ事実だけど、言って何か良いことある?」っていう言葉ってありますよね。ハゲてるひとに「ハゲ」っていうとか、太った人に「デブ」っていうとか。それとほぼ同じなんじゃないかと。
しかし、私が間違っていたのでした。
なぜなら、「飛べない豚はただの豚」なんて言葉は存在しないからです。
ポルコ・ロッソはそんなこと言ってない
そもそもこの言葉は、かの有名なジブリ映画の名作『紅の豚』からきています。
もともとはハンサムな飛行艇乗りだったがなんらかの呪いで豚になってしまった主人公・ポルコ・ロッソ。
ポルコの幼馴染が、地中海の美しいマドンナ・ジーナです。ジーナは、3人の飛行艇乗りと3度結婚して、3人とも事故で亡くしています。
そんなジーナから、もう飛行艇になるのは危ないからやめてと懇願されたときにポルコが言った言葉。それが、
「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」
でした。「飛べない」豚ではないのです。「飛ばない」豚なのです。
うむむ。「飛べない豚」ってそもそも当然のことで、豚だって好きで飛べないわけじゃないんだから、豚にお前は飛べないんだからただの豚だっていってもしょうがない。ヒトに「飛べないヒトはただのヒトだ」っていったって、「そうだけど…それで?」ってなりますよね。
だけど「飛ばない豚はただの豚」だったら、
飛ばない豚はただの豚
↓
「飛ばない豚」=ほんとは飛ぼうと思えば飛べるのに、飛ぶこと(あるいは飛ぼうとすること)を止めてしまった豚
↓
ほんとは飛べるのに、飛ぶのを止めたら、お前の価値はなんなんだ?
↓
いや飛べるだろう、飛べよ!もっとアツくなれよ!!
という、松岡修三ばりの、アツい問いかけになる。ナルホド。こういうことだったのか。
「紅の豚」の不思議な比喩―桟橋の金具?
ちなみに、このポルコの名セリフが出てくる直前、ジーナは、こんなことを言います。
いくら心配してもあんたたち飛行艇乗りは、女を桟橋の金具くらいにしか考えてないんでしょ?
さ、桟橋の金具?なんのたとえ??
と、頭がはてなマークでいっぱいになりました。
調べてみましたが、どうやら、こういう慣用句があるわけではなく、単に、「大して大事に思っちゃいない」という意味でつかわれているようです。
それにしてもなぜ桟橋なのか?
飛行艇乗りはいつも飛行艇に乗ってどこかに飛んで行ってしまいます。そして気が向いたときにだけふらりと桟橋に戻ってくるのです。女は、それを待つだけ。
そんな飛行艇乗りと3度も結婚して、3度も逝かれてしまったジーナは、いつもさびしい思いをさせられ、彼ら(マルコを含め)がたまにしか戻ってこなかった桟橋とそこで待つしかない自分を重ねて、皮肉ってこういうたとえをしたのかもしれません。
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