信じる神がいない私たちは何を信じたらいいのか?「あの花」が提示してくれたかもしれない問題。
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。」通称「あのはな」。
2011年の代表作といわれるこのアニメ。
ジブリ以外のアニメについては全くと言っていいほど知識をもたない私ですが、何かのきっかけで、先日ちょっと観てみたのです。
傑作だった。
素晴らしい作品でした。すみません、テレビアニメ食わず嫌いでちょっとなめてましたが考えを改めました。
どこかどう素晴らしいのか?いろいろな方によってさんざん書かれてきたこととは思いますが、あまりに感動したので、語らせてください。
1. 信じる神がいない私たちは、いったい何に頼ればいいのか?
◆「絶対的に自分を赦してくれる存在」がない厳しさ
私の理解では、日本人のほとんどは「自分を救済してくれる存在」としての宗教をもっていないと思います。もちろん、神社やお寺を参拝するし、なにかおねがいごとがあれば「神様お願いします」とお祈りしたりはします。でも、自分の悪いところや、罪の意識、過去の過ちといったことを絶対的に赦してくれる存在としての神様は、もっていない人が多いように思うのです。
これを強く感じたのは、アメリカで、クリスチャン(キリスト教信者)の友人と、彼女がクリスチャンである理由をきいたときです。
詳細は省きますが、要するに、「私のどんな暗い部分や汚い部分も、神様は受け入れてくれるし、どんなに苦しいことがあっても、神様がいつもついていてくれる。だから私は生きていける。」というのです。
これが、世界で多くの人にキリスト教が信じられているゆえんなのかもしれないと思いました。そして、私もそれを信じられたら、いろいろなことがもっと楽になるだろうとも思いました。
しかし、私はどうしても彼女の言う神様の存在を信じられませんでした。
一方で、考えてみれば、私には、彼女にとっての神様のような心のよりどころになるようなものは何もありませんでした。
生きていれば、さまざまな困難や辛いことに出くわします。能力のない自分を呪ったり惨めで情けなく思うこともあるし、辛い経験は心に傷を残し、後悔や罪悪感、「これを失ったらもう生きている意味なんてないんじゃないか」といった気持ちが繰り返しあなたを襲ってきます。
そんなとき、「信じる神のいない私たち」は、いったいどうすればいいのでしょうか?
◆ 「めんま」はなぜ今更現れたのか?
「あの花」に登場する5人の高校生たちは、若いながらも、幼いころのある出来事から、心に傷を抱えています。でもそれをどうすればいいかわからない。
そんなとき、死んだはずの「めんま」が、幽霊になって突然現れます。
「めんま」は、高校一年生の彼らの夏を、さんざん振り回して、そして、突然
朝日の中、去って行きます。
「めんま」(の幽霊)はなんだったのか?「めんま」はいったいなんのために死んでから10年も経った今わざわざ幽霊になって彼らの前に現れたのか?
それは、トラウマやコンプレックスやらなにやらでなかなか前に進めない彼らに「救い」をあたえるためでした。
「救い」とか「赦し」とかいうと、なんだか宗教めいて怪しげな響きがするので、もっとふつうのことばでいったほうがいいですね。。でも、実際「めんま」は、宗教に似た役割を果たした気がするのです。
彼ら5人の心の傷は、多かれ少なかれ、「めんま」が関係していました。その痛みを、彼らはずっと引きずって、でもそれとはきちんと向き合うこともできずに、どうにも前に進めないでいました。
「めんま」は幽霊になって現れて、実際何をしたというわけでもありません。何らの慰め的な言葉をかけたわけでもありません。めんま本人ですら、なんで今更幽霊になって現れてしまったのか、よくわからない感じ。だけど、彼らのトラウマやコンプレックスの原因になった「めんま」が幽霊になって現れたことで、彼らに自分の負の部分と向き合って、なんとかしなきゃという気持ちを起こさせた。
めんまは、トラウマやコンプレックスを乗り越えて、次のステップに進めるように手助けをしたのです。
◆ ピンク色の勿忘草に込められた意味とは
「めんま」のイメージは「忘れな草(勿忘草)」という青い花です。
勿忘草は、オープニング、エンディングをはじめ、作中でも頻繁に出てきます。
オープニングのロゴ(?)にも、
高校生になった「めんま」がいるはずの場所にも。実際には「めんま」は死んでいるので、かわりに勿忘草が浮かんでいます。
でも、↑の真ん中の画像、ちょっと変ですよね。なぜなら、「勿忘草」がピンク色です。
エンディングの勿忘草(っぽい花)もなぜかピンク色。
なぜでしょう?実は、青い勿忘草の色を反転すると、、
ピンク色になるのです!
勿忘草の花言葉は「私を忘れないで」です。おそらく、「私を忘れないで」と願うと同時に、「でも、私を忘れて、前に進んで」というメッセージが込められているのでしょう。勿忘草が青からピンクに変わるにつれて、5人の画像も白黒からカラーになるというのも、粋な演出ですね。
◆ 「めんま」は「救い」の一端をみせてくれた
「めんま」は、信じる神様のいない私たちに一つの救いのかたちを提示してくれているような気がします。まあちょっと飛躍しすぎかもしれませんが(笑)
「めんま」はただ現れて、生きている5人をひっかきまわして、去っていっただけです。そしていうなれば、「あの花」の5人には救いをあたえたかもしれないけど、わたしには救いをあたえていないし、視聴者のだれにも個別の救いをあたえていません。
なのに、なぜこれだけ多くの人を涙させたのか?
この世界は、結構辛いです。
理想の自分とはかけ離れた、ちっともイケてない現実の自分。そんな自分への苛立ちや情けなさ、惨めさ。大切な人や生きがいにしていたものを失った悲しみ。人からひどい仕打ちや裏切りを受けた悲しみ。誰かを傷つけてしまった後悔。どんなに頑張ったって手に入らないものへの渇望。etc...
普段は明るくポジティブにへらへらと生きていたとしても、そういうものを抑え込んで、あるいは目を向けないようにしているだけで、実際は厳然と存在するのです。
「あの花」では、かなりの時間をかけて、登場人物5人のトラウマやコンプレックスを抉り出していきます。それは、落ちこぼれの自分への惨めな気持ちだったり、可愛くなれない僻みだったり、「めんま」を失くした喪失感だったり。彼らはピュアな高校生だけにそれに苦しみ、もがきます。
それを観て、「ああ、わたしも、いつもは超ポジティブに生きようとしているけど、ほんとうはめっちゃ辛いんだよなあ。無理してるんだよなあ。」ということに気付きます。
そして、彼らが「めんま」によって、なんか救われているのを観て、「ああ、わたしは、ほんとうは『救い』を求めていたのかもしれないんだなあ。」という素朴なことに気付きます。
だからといってどうやったって私に「めんま」が現れるわけないし、救いを求めるために何か宗教やそれに類似するものに目覚めたわけでもないんですけど、でも、「なんか救われたような気になった」という経験は、やはりわたしになんらかの「救い」をあたえてくれるような気がするのです(自分でも何言ってんだかよくわかりませんが。。)。
2.テーマ曲とのコラボが神
エンディングテーマは、わたしたちアラサーには懐かしい、「Secret Base~君がくれたもの~」
正直、「ZONEってこれの一発屋だったか」という印象しかない歌ですが
「エッこの歌こんないい歌だったっけ(´;ω;`)(号泣)」
ってくらい、エンディングの入り方神。ソッコーiPodにいれました。
毎回エンディングで涙腺崩壊してた人も少なくなかったのでは?
秒速5センチメートルの新開誠監督は見倣ってほしい。まじで!
あと、オープニングもいいよ!ガリレオガリレイの「青い栞」っていう歌らしいんだけれども。ちょっとくるりのばらの花に似てる気もしなくもないけど。
オープニングの映像が曲と歌にあまりにもマッチしているので、この歌も大好きになってしまいました。
3.あなるとゆきあつがかわいい
まじでくっついてほしいんだがこの2人。イケメンイケ女なのにフラれ者同士。
「あのはな」。もう一回観てもやっぱり泣くかな。それより攻殻機動隊観るのが先か!
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